月山の酒蔵資料館に保存されている山形交通三山線の車両。






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words=’1974年(昭和49年)に全線廃止となった山形交通三山線のモハ103が月山の酒蔵資料館に保存されている、という記事を以前に見つけたので、機会があったら見たいと予てから考えていたので立ち寄ってみました。山形交通三山線のことは全く知らなかったんですがね。残念ながら、補修作業をされているのかシートが掛けられていて姿を直接拝むことは出来ませんでした。うっすらとは見えていますけれどね。「かいしゅう」と書かれた標は「改修」のことではなく、難読駅であった海味(かいしゅう)駅の駅名標ですな。三山線の路線は左沢線の羽前高松駅から寒河江川に沿う形でこの先の間沢駅まで続いていた路線なんですね。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    三山線(さんざんせん)は、山形県寒河江市の羽前高松駅と西村山郡西川町の間沢駅を結んでいた山形交通の鉄道路線。元は三山電気鉄道の路線で、後に山形交通の母体となった路線の一つである。1974年に全区間が廃止された。出羽三山への参詣客の輸送や、永松・幸生・高旭・見立・小山など鉱山との物資の運搬を目的に、1926年(大正15年)12月23日に三山電気鉄道として、鉄道省線左沢線羽前高松駅と海味駅の間8.8kmで営業を開始した。1928年(昭和3年)9月17日、海味駅から間沢駅まで延長。白岩発電所・沼山発電所など、寒河江川水系の水力発電による豊富な電力資源をバックに、三山電気鉄道当初の経営は順調であり、鶴岡までの延伸が提案された程だという。1936年(昭和11年)には前年に軌道線が廃止となり解散が決まった谷地軌道のバス路線[1]を買収し、神町 – 谷地間のバスの運行も始めている。また、沿線の観光資源開発にも熱心で、間沢・海味・上野の各スキー場への誘客や、間沢の菊まつりの開催を行なった。菊まつり期間中の日曜日などは、どの列車も満員になったという。乗客の大半は、地域の通勤・通学客であったが、出羽三山の参詣者も非常に多かった。1943年(昭和18年)10月1日、戦時統合により三山電気鉄道は、高畠鉄道(高畠線)、尾花沢鉄道(尾花沢線)および山形県内陸地域の各バス会社を合併し、存続会社となり、山形交通に社名を変更。同社の三山線となった。だが、相次ぐ鉱山の閉山と、1960年代以降のモータリゼーションの進行により業績が悪化し、1974年(昭和49年)11月18日、羽前高松駅 – 間沢駅間11.4kmの全線を廃止した。廃線跡はサイクリング道路や農道として大半が現存しており、初期の旅客車であるモハ103が月山の酒蔵資料館の屋外に静態保存されている。また、この月山の酒蔵資料館内には三山線の資料コーナーが設けられており、当時の写真や資料等が展示されており、無料にて見学が可能となっている。 また、新田停留所跡の羽前高松駅側寄りに「三山広場」があり、鉄橋の橋脚や在りし日の写真、解説看板などが置かれている。

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