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DoraNeko

宇和島から宿毛に向かう途中の愛南町にある紫電改展示館、立ち寄ろうかどうしようか直前まで迷ったんですけどね、多分寄らないと後悔するかも知れないよな~と思ったので、立ち寄ることにしました。拙者は太平洋戦争が終わってたかだか8年という頃に生まれた世代でございますし、小学生の中から高学年の頃には「紫電改のタカ」なんて漫画も読んでおります。紫電改のプラモデルも作った記憶があったりします。昭和53年11月、愛媛県南宇和郡城辺町久良湾の海底40mに原型のまま沈んでいるのが地元ダイバーによって発見され、翌年7月14日実に34年ぶりに引き揚げられた期待でございます。それがここ南予レクリエーション都市にて公開展示されているのでございますよ。日本に現存する機体はこのただ一機のみです。30年以上も海底に沈んでいたのですから修復するのには大変な努力があったようですね。国を守るために散っていった英霊に素直に感謝の念を捧げたいと存じます。8月15日ももうすぐですしね。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    紫電改(しでんかい)は、第二次世界大戦期における大日本帝国海軍の戦闘機である。紫電(N1K1-J)の二一型以降が紫電改と呼称される。局地戦闘機紫電は、水上戦闘機「強風」を陸上戦闘機化したもので、紫電二一型は強風にちなんだ中翼配置の紫電を低翼に再設計した機体であり、紫電改は新機軸の設計(自動空戦フラップ、層流翼)が特徴であった。この機体は後述するように日本海軍、ひいては日本軍の戦闘機の中で最優秀の一つとされる。精鋭が集められた第三四三海軍航空隊の通称”剣部隊”に集中配備されたこともこの機体の名声が高まった要因と言える。昭和19年4月7日内令兵第27号「航空機の名称」では「試製紫電改」は「試製紫電の機体改造及兵装強化せるもの」として定義づけられており、昭和20年4月11日海軍航空本部「海軍飛行機略符号一覧表」における二一型以降(紫電改)は、「試製紫電改(二一型)」「試製紫電改甲(二一甲型)」「試製紫電改一(三一型)」「試製紫電改二」「試製紫電改三」「試製紫電改四」「試製紫電改五」が該当する。

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