宮の坂駅前に展示されている江ノ電601号車。

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1990年(平成2年)から宮の坂駅前に展示されている江ノ電601号車でございます。元々東急から譲渡されて江ノ島電鉄線で使用されていたものが廃車後に里帰りして宮の坂駅前にて公開展示されているということでございます。子供を連れたお母さんが見に来ていましたが、拙者もここまで幼い頃の息子を見に連れて来たのを思い出しましたですわ。

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    by DoraNeko

    Wikipediaから引用
    江ノ島鎌倉観光600形電車(えのしまかまくらかんこう600がたでんしゃ)は、江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)が1970年(昭和45年)に導入した電車(制御電動車)である。東京急行電鉄(東急)から譲渡された同社デハ80形4両を2両固定編成とした上で就役させたもので、江ノ電においては1990年(平成2年)まで運用された。江ノ電の運営する路線(江ノ島電鉄線)は、開業から1945年(昭和20年)までは軌道法に基づく軌道線であったが、同年に地方鉄道法に基づく鉄道線に変更された経緯を有する。その後、1953年(昭和28年)に制定された「改善3か年計画」を契機として、同年から1960年(昭和35年)にかけて連結車200形2両1編成と連接車の300形2両5編成および500形(初代)2両2編成を導入、運用車両の近代化を推進した。もっとも、通常の列車は全列車2両編成化がなされた一方で、多客時には1951年(昭和26年)10月22日付の地方鉄道運転規則例外取扱許可に基づく特殊続行運転が、後続車に100形を使用する形で実施されており、これが定時運行を妨げていた。その後モータリゼーションの進展に伴い、1964年(昭和39年)以降輸送人員は減少に転じ、また江ノ電社内における事業別収入でも鉄道事業は1961年(昭和36年)以降全事業の最下位に転落するなど収益効率の悪さが問題となり、路線廃止による鉄道事業からの撤退が検討された。しかし、江ノ電における主要事業の一つである不動産事業と密接な関係にある鉄道事業からの撤退は得策ではないと判断され、また、他事業の収益により鉄道事業を支えることもできる状況であったことや、路線バスへ転換した際に鉄道路線と同等の輸送量を確保することが困難であるとの理由から、鉄道事業撤退は一旦棚上げされることとなった。これを受けて1960年代後半から1970年代はじめにかけて再度近代化、合理化、輸送力の増強などがなされることとなり、江ノ島・極楽寺両変電所のシリコン整流器化、特殊続行運転の廃止と4両運転の開始、単線自動閉塞信号装置の運用開始、車両の集電装置の変更などが実施されている。これらの施策のうち、輸送力増強と運行の合理化・保安度向上のため特殊続行運転の廃止と連接車の4両運転の開始にあたっては各駅のホームの延長などがなされたほか、これにより不足することとなる車両の増備が必要となり、1970年(昭和45年)に東京急行電鉄から4両、翌1971年(昭和46年)には上田丸子電鉄(後の上田交通)から2両、それぞれ中古電車を譲り受けた。前者が600形となり、後者は800形としてそれぞれ導入されている。600形は東京急行電鉄からデハ80形87 – 90(車番はいずれも2代)[* 6]を譲り受け、江ノ電における規格に適合するよう改造したものである。廃車後、601は東京都世田谷区の東急世田谷線宮の坂駅脇にある宮坂区民センターへ搬入され、同地にて静態保存された。車体は東急に残存したデハ80形の晩年と同じくライトグリーン1色塗装とされた一方で、江ノ電在籍当時の車番表記「601」と社名表記 (EER) はそのまま存置されており、前面形状や江ノ電導入に際して下端部が切り上げられた客用扉なども江ノ電在籍当時のままとされている。傍には簡単な説明書きが置かれており、区民センター開館時は車内に立ち入ることも可能である。

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