和歌山交通公園で保存されている、南海大阪軌道線モ217。










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words=’和歌山電鐵貴志川線交通センター前駅のホームからも見える、和歌山交通公園で保存されている、南海大阪軌道線モ217でございます。1980年に廃止された平野線で活躍していた車両ですな。雨曝しの状態で、保存状態がよろしくございません。つまりボロボロですな~。県営の交通公園なんだから、もう少し何とかならないもんかね~、と思ってしまいますな。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    阪堺電気軌道モ205形電車(はんかいでんききどうモ205がたでんしゃ)は、1937年に登場した、南海電気鉄道大阪軌道線を経て、阪堺電気軌道で使用された路面用電車。この車両の直前に登場したモ201形同様、(旧)阪堺電気軌道が開業時に製造した木造車1形・50形ならびに1921年製の電動貨車11形を種車として電動機、台車を流用して鋼体化したものである。当初はモ2001形として登場し1937年にモ2001 – モ2005(後にモ205 – モ210に改番)の5両が登場。1938年にモ211 – モ235、1939年にモ236 – モ240、1941年にモ241・モ242、1942年にモ243 – モ246、1947年にモ247 – モ250の合計46両が製造された。モ205 – 246は当時同線を経営していた南海電気鉄道が、自社の天下茶屋工場で車体を製造している(モ232は戦災復旧車で、1949年に広瀬車両で車体を新造)。一部の車両は種車が四輪単車のため台車が流用できず、天下茶屋工場で台車まで作っている。モ247 – 250は戦時中に製造を中止したものを戦後、広瀬車両で完成させた。平野線の廃線までは最大勢力を誇っており、阪堺線の通し運用では全線完全ワンマン化までかなりの確率で運用されていた。全長11メートルほどの中型車で、前後扉の配列。モ205 – モ210はモ201形と同じ1段下降窓・2枚の扉を連接した2枚引き扉だったが、モ211以後は2段上昇窓となり、外形が変化している。また扉も開閉トラブルが多発したため途中から1枚引き戸に変更された。2枚引き扉だった車両も運転台垂下復旧工事を施す際に改造し、最終的にはモ205・モ209の2両以外は1枚扉となった。阪神高速14号松原線の阿倍野入口から先への延長及び地下鉄谷町線開通に伴って平野線が廃止された(1980年11月27日)際に、モ246 – モ248の3両はワンマン化改造される。この時、他のワンマンカー同様の前中扉配置に改めるため、中央扉が新設されて後部扉は閉鎖となったほか、前面に方向幕が装備されている。全在籍数のおよそ半数近くが花田口停留場真向かいに本社があるタマノイ酢の広告塗装を纏っていた。

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