三原駅北口、すなわち隆景広場の公衆電話ボックス。

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words=’三原駅北口にある三原城天守の模型が乗っかった公衆電話ボックスでございます。面白いブツなんですけどね、かなり激しく痛んでます。赤錆ちゃってますな。駅に遮られているとは言え海から近い位置ですのでね、潮風にやられちゃうんですかね。公衆電話ボックスってモノ自体が今や前世紀の遺物みたいなことになっちゃってますんでね、撤去の憂き目に遭う時が来るのもそんなに遠い日の事ではないかも知れませんな。風前の灯火ってやつでしょうか。モノノアハレを感じますですな~。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    三原駅(みはらえき)は、広島県三原市城町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。三原城本丸跡を横切るように建てられている。三原港まで当駅から300mと近い。山陽新幹線と、在来線における当駅の所属線である山陽本線、および当駅を起点とする呉線が乗り入れており、後者は竹原・呉方面を回り、海田市駅で山陽本線に合流して広島駅に至る。当駅開業前は隣駅の糸崎駅が「三原駅」を名乗っていた。山陽新幹線の建設に当たって、福山 – 広島間の中間駅は尾道に設置する案と三原に設置する案があったが、いずれか1つを選択する予定になっていた。三原駅には線形的には乗り入れ可能でも市街地の用地買収が困難であり、一方で尾道駅には地形的に新幹線を乗り入れできないが、約2.5 km北に建設予定のバイパス道路沿いに新駅を建設する構想があってこちらが有力とされていた。ところが当時の三原市長の長尾正三が巻き返しにかかり、新幹線ルート上の地権者や住民3,828人の新幹線誘致同意の署名を取り付けて、1969年(昭和44年)1月に国鉄本社に持参した。これにより用地買収に問題が無いとわかり、在来線駅に新幹線駅を併設できる方が望ましいこと、福山 – 広島間の中間に近くなることなどから、国鉄の判断は逆転して三原駅が選択されることになり、新幹線開通と同時に新幹線三原駅が実現することになった。新尾道駅が実現するのはそれから13年後の1988年(昭和63年)のことであり、工事費62億円は地元負担となっている。

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