小城駅前広場にある、明治の三筆の一人、中林梧竹の像。






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words=’小城駅駅舎からふと広場を見ますと、等身大の書家の像らしきものがあったので、近寄ってみますとこりゃまあ興味深いっていうか、なかなかに珍しい造形のブツでございましたですよ。明治の三筆の一人、中林梧竹の像でございます。こういうフォルムって初めて見ましたです。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    中林 梧竹(なかばやし ごちく、文政10年4月19日(1827年5月14日) – 大正2年(1913年)8月4日)は、日本の書家。明治の三筆の一人。名を隆経、通称は彦四郎、字は子達。梧竹は号である。また剣閣主人ともいった。家は代々鍋島藩の支藩小城藩の家臣であった。明治書家にあっては珍しい造形型を追求した独特の書風を確立し、その新書風で書壇への影響力が大きかった。六朝の書法を探究して、多くの碑拓を請来したため、書というよりもむしろ絵画の味わいがある。また、水墨画も数多く残している。同じく「明治の三筆」に数えられる日下部鳴鶴や巖谷一六と比べると、梧竹が手がけた石碑は少なく、現在全国に50基程を確認できる。石碑の文字にも独特の書風が現れているものが多いが、一部は正統の楷書で書かれている。

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