淀駅前の、淀の水車の碑と河津桜でございます。

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words=’桂川・宇治川・木津川の三川合流の地、淀でございます。明治以前は淀駅周辺まで宇治川と巨椋池が迫っていたのでございますね。そのほとりに淀城が築造されたんでございますね。幾度かの河川改修を経て淀駅周辺が現在の形になったのは昭和の初めなんだそうですな。京都競馬場で有名な淀ですが、京街道の宿場のひとつ、淀宿があったところでもございます。淀駅前には淀の水車の碑がございます。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    淀(よど)は、京都府京都市伏見区西南部の地域名。同地域に所在する京都競馬場の通称でもある。もとは淀川水系の桂川、宇治川(淀川本流)、木津川の三川合流の地だったが、明治初期の木津川付け替え、明治後期の宇治川付け替えによって地形が大きく変化した経緯を持つ。この影響で、宇治川の現河道や木津川の旧河道付近は久世郡久御山町や八幡市と錯綜している箇所がある。豊臣政権下では宇治川右岸の納所に淀古城が置かれたが、徳川政権下では宇治川 – 木津川間の島之内に淀城が置かれた。淀城下は池上町、下津町の2町に寛永14年から同16年に行われた木津川付け替えによって新町が加わり、この3町は城内三町と呼ばれた。他に、宇治川右岸の納所、桂川右岸の水垂、大下津の各一部で城外三町が構成された。また、淀城下は京街道の宿場のひとつである「淀宿」も兼ねた。三川合流の地は、紀伊郡、久世郡、綴喜郡、乙訓郡の郡界が接する地でもあった。明治22年の町村制施行では、城内三町は久世郡淀町、城外三町のうち納所は紀伊郡納所村、水垂、大下津は紀伊郡から乙訓郡へ転属、樋爪村と合併して淀村となった。また、明治元年から同3年に行われた木津川付け替えによって同川の左岸から右岸に位置することとなった綴喜郡生津、際目、美豆の3村は、八幡町とは別に美豆村を発足させた。明治29年から同43年に行われた宇治川付け替えによって美豆村は大字美豆が同川の右岸、他の2大字が同川の左岸に分断され、淀町と納所村は地続きとなった。また、宇治川付け替えと同時期に行われた桂川改修によって淀村大字水垂、大下津の両集落が約200m西方へ移転となり、水垂に鎮座していた與杼神社が淀城内へ遷座された。納所村は1931年(昭和6年)に京都市へ編入され、美豆村と淀村を編入した淀町は1957年(昭和32年)に京都市へ編入された。現在の町名で「淀」を冠しているのは旧・淀町の地域で、旧・納所村の地域は「淀」を冠していない。しかし、「淀」を冠していない納所は淀の一部としての歴史が最も長く、一方、「淀」を冠している旧・美豆村の地域は八幡の一部としての歴史が長い。

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