能登中島駅構内で保存されている、鉄道郵便車オユ102565。

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words=’国鉄10系客車の鉄道郵便車、オユ10 2565でございます。廃車後、のと鉄道能登線甲駅にて保存されていた車両で、能登線の廃止後に解体処分されるところを、ボランティア団体ふるさと鉄道保存協会が引き取り、2004年(平成16年)からここ能登中島駅構内で保存されているものでございます。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    国鉄10系客車(こくてつ10けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1955年に開発・試作し、その後量産した軽量構造の客車である。1950年代に軽量化設計で世界をリードしていたスイス連邦鉄道(スイス国鉄)の軽量客車(Leichtstahlwagen)の影響を強く受けて設計・開発された。既成概念を脱却した革新的な設計の導入により、従来の鉄道車両に比べて格段の軽量化を実現し、輸送力増強や車両性能の向上に著しい効果を上げた。また外装面でも、大型の窓を備えるなどスイス流の軽快かつ明朗なスタイルが導入され、国鉄車両のデザインに新風を吹き込んだ。電車・気動車を含むその後の国鉄車両のほとんどは、この10系客車を基本にした軽量構造を採用しており、後続の旅客車両設計に大きな影響を与えた形式と言える。その一方で、車体や台車こそ近代的になったとはいえ、自動空気ブレーキや車軸駆動式の発電装置、並形自動連結器、蒸気暖房など旧来のものを踏襲した部分も多く、車両運用上も1両単位で在来他形式との混結を前提としていた。一部車両には、遊休化していた車両を改造したものも存在する。食堂車であるオシ17形は、占領軍からの返還や特急の電車化で余剰となった展望車など、3軸ボギー台車を履いた旧型優等客車の台枠流用による改造車として製造された。また、寝台利用者の増加に応えるため、スハ32系二重屋根車など古い二等車や三等車の台枠と台車を流用したオハネ17形(のちのスハネ16形)が多数製造され、高度経済成長期の輸送力確保に大きな成果を上げている。オユ10形 – 郵政省所有の区分室(扱い便)郵便車で、車内に郵便物を区分するための設備を設けている。荷重は一般仕様車で8 t(郵袋数600個)、北海道用および冷房改造車は7 t(郵袋数532個)である。車体塗色は当初はぶどう色2号、のちに青15号に変更された。2501 – 2514 は北海道用で、耐寒装備を強化したほか、対本州運用を考慮し当初から電気暖房を併設する。後に一般車から3両が耐寒改造を実施し、2515 – 2517 として編入された。当初は冷房装置を搭載していなかったが、作業員の発汗による郵便物の汚損対策として、1972年から冷房取付が開始された。改造は屋根高さを下げて分散式ユニットクーラーを3基搭載するもので、蒸気暖房のみの5両は1000番台 (1001 – 1005) を付番、一般形に耐寒改造と電気暖房取付を行った33両は2550番台 (2551 – 2583) を付番した。北海道仕様の 2501 – 2517 は1976年 – 1978年に冷房取付され、2520番台 (2521 – 2537) を付番している。オユ10 2565 - 廃車後、のと鉄道能登線甲駅に保存後、老朽化により処分間際の1998年(平成10年)ごろ、ボランティア団体「ふるさと鉄道保存協会」が譲り受けて保存活動を開始。2004年(平成16年)11月に当駅に移転した。

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