立岩&てんきてんき橋(京丹後市)

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立岩でございます。竹野川の河口にある岩の島で、大昔の噴火による柱状節理と砂洲があることで知られております。その手前にある、竹野川に架かる木橋が「てんきてんき橋」でございます。立岩を撮影するのに絶好のロケーションなのですが、老朽化しており、かなり傷んでおります。いつ抜け落ちても不思議ではない位の痛み様でございます。しかし、何故か通行禁止にはなっておらず、どういうわけか放置されているのでございます。注意書きには「渡るには注意が必要です」的な事が書かれてはいるのですが、あくまでも渡る人の自己責任だよとでも言いたいのでしょうかね。付近には間人皇后・聖徳太子母子像がございます。地名は間人と書いて「たいざ」ですが、間人皇后は間人と書いて「はしうど」と読むのでございますね。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    間人(たいざ)は、京都府京丹後市丹後町の地名。大字としての名称は丹後町間人(たんごちょうたいざ)。日本海に面しており、立岩などの景勝地を有している。難読地名とされる。聖徳太子の生母・間人皇后(はしうどこうごう)が蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後の当地に身を寄せ、のちに当地を去るに当たって自らの名をこの地に贈ったものの、住民は「はしうど」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、皇后がこの地から退座(たいざ)したのにちなみ間人を「たいざ」と読み替えた、との伝承が残る。但し間人皇后が丹後に避難したとする記述は記紀になく、由来には他にも諸説がある。死者を大陸に向けて埋葬する風習が長らく残っていた。丹後半島北西岸に位置し、日本海に突き出ている。東部を竹野川が北流し、河口には立岩がある。景勝地としてよく知られ、立岩は1971年(昭和46年)に京都府が企画し京都在住の日本画家12名に府内の名勝を描かせた「京の百景」にも選出され、澤宏靱によって描かれ1973年(昭和48年)京都市内で開催された展覧会に出品された。丹後半島の沖合は海岸線からわずか15kmで水深200mに達する急深な海底地形が特徴であり、ズワイガニの良い漁場となっている。港湾としては間人漁港と小間漁港があり、間人漁港ではハタハタ・カニ・イカ類などが、小間漁港ではブリやイカ類などが漁獲される。間人漁港で水揚げされたズワイガニの一部は間人ガニというブランドで出荷され2006年(平成18年)には特許庁の地域団体商標を取得している。

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