魚梁瀬森林鉄道遺構、魚梁瀬丸山公園にある森の駅やなせ。













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words=’魚梁瀬森林鉄道の遺構を使って動態保存されている魚梁瀬丸山公園の森の駅やなせでございます。現在は日曜日に限り運転されております。訪問したのは土曜日で、しかも雨でございます。駅と線路のみをわざわざ山奥まで時間掛けて見に来ている次第でございます。我ながら酔狂なことでございます。雨さえ降っていなければ馬路温泉馬路森林鉄道や他にも数多く残る廃線遺構も見たかったんですけどね。こんな天候では危険がアブナイので駄目ですわ、とほほ。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    魚梁瀬森林鉄道(やなせしんりんてつどう)は、かつて高知県にあった森林鉄道である。「日本三大美林」の一つといわれる魚梁瀬杉を運搬することを主目的として開業したが、陸上交通網が整備されつつあったことに加えて、魚梁瀬ダムの完成により軌道が水没したことから廃止となった。一部路線では一般客も乗車可能だった。廃止後は高知東部交通がバスを運行している。魚梁瀬地区は、平家の門脇中納言平教経の入洛により集落が始まったとされる。竹や木を並べて水を堰き止めて魚を捕まえる仕掛けを「梁(やな)」と呼ぶが、教経はそうして川魚を捕り暮らしていたことから後にこの地区が「やなせ」と名付けられたようである。藩政時代になってこの山々の森林資源が着目され、下流地域から人々が上がって来るようになり、奈半利川の水流を利用し、魚梁瀬材は河口へと集められていった。林道開設も早く、1895年(明治28年)、魚梁瀬和田山から宝蔵山にいたる12.4kmの牛馬道を開設。その後和田山 – 魚梁瀬、谷山口 – 東川、魚梁瀬 – 栃谷と延長された。安田川方面も1900年(明治33年)、日浦 – 東川(ひがしごう)、明神口 – 日浦と林道が開設されたが、これは運材よりも物資輸送が主な目的であり、運材は河川を利用していた。しかし、山腹に設けられた牛馬道や車道、さらに流木では間に合わなくなり、1907年(明治40年)に安田川山線に最初の軌道が開設され、その後1910年(明治43年)から田野 – 馬路間23.4kmの鉄道を建設、1911年(明治44年)に完成した。当初は自然の重力を利用した乗り下げで運材が行われており、山へ帰る時は犬または牛にトロリーを牽かせていた。1915年(大正4年)には久木隧道(333m)が貫通し、魚梁瀬まで開通。さらに1919年(大正8年)には石仙(こくせん)まで開通し、田野 – 石仙間41.6kmが完成した。しかし釈迦ヶ生(しゃかがうえ) – 久木(くぎ)隧道間には地形上。逆勾配が存在し、また奈半利川流域の運材には適さないため、奈半利(なはり)川線の計画が立てられた。これは1928年(昭和3年)から調査が始まり、1929年(昭和4年)11月24日起工、1942年(昭和17年)3月には支線を含めた奈半利川線(奈半利 – 釈迦ヶ生間41.9km)が完成した。ここに総延長250kmに及ぶ国内屈指、そして高知県内最大の森林鉄道網が完成したのである。なお、魚梁瀬森林鉄道とは安田川線、奈半利川線の両幹線に加え、各支線を含めた総称である。安田川線は1910年(明治43年)に着工し、1919年(大正8年)に田野貯木場 – 石仙間41.6kmが完成。軌間762mm、9 – 10kg/mレールを使用し、最急勾配は逆31.3パーミル、順13.3パーミル、最小曲線半径21.8mであった。一方、奈半利川線は1929年(昭和4年)着工、1942年(昭和17年)に奈半利貯木場 – 釈迦ヶ生間41.9kmが完成した。10kg/mレールを使用し、最急勾配は順16.5パーミル、最小曲線半径30mであった。廃線後、野村組工作所(高知市)製のDLのみが保存されていた。その後、1991年(平成3年)に丸山台地にある魚梁瀬丸山公園へ移設・動態保存された。重量があり、線路に与える影響が大きいため、運転される機会は限定されている。通常は谷村鉄工所タイプのDLを垣内鉄工所で復元したものが運転されている。馬路集落には、現在馬路温泉馬路森林鉄道というポーター社製SLをモデルとした遊覧鉄道が走っている。北川村内では、廃線後に線路撤去、路盤舗装の上で道路(高知県道11号奈半利東洋線(現在は国道493号))に転用された。

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