新富士駅から富士山を望み、駅周辺を見渡しております。




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words=’新富士駅から富士山を望む眺望は有名でございますね。マンホールのフタも富士山と駿河湾の波でございます。南口に本のモニュメントがあったので、何かと思えば富士市の憲章が刻まれておりました。そう言えば富士市は製紙の町ですので、本は大いに関係がございますですな。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    富士市(ふじし)は、静岡県東部にある市。施行時特例市。市町別人口は、浜松市、静岡市に続いて県内第3位となっている。静岡県東部で富士都市圏を形成している。また、富士山の南にあり、岳南地域という言葉も使われる。富士山を望む地域の1つで、東海道新幹線富士川橋付近から新幹線とともに写された写真などが有名である。富士川や富士山の伏流水など水資源が豊富であったことに加えて大消費地の首都圏に近い地の利を生かして最盛期の1991年(平成3年)には旧富士川町を含まない旧富士市内だけで6035億円の出荷額を誇る製紙の街として栄え、大昭和製紙本社工場(現・日本製紙富士工場鈴川事業所)や王子マテリア(旧・王子製紙)などの多数の製紙工場が活発に生産を行っていた。しかし、2009年(平成21年)2月に王子製紙富士工場の製紙ラインの一部が操業停止となるなど「パルプ・紙」の事業所数は275から224に減少が進んだことから、2011年(平成23年)の製紙業の出荷額は4407億円へ落ち込んでいる。2012年(平成24年)9月末には日本製紙富士工場鈴川事業所(旧大昭和製紙本社工場)での紙生産が全面的に停止となるなど、製紙業の衰退、製紙・パルプの生産減少傾向が続いている。市街地から見て東に愛鷹山塊、北方に富士山が位置する。日本三大急流の一つである富士川や潤井川のほか、沼川・砂沢川・凡夫川・伝法沢川・千束川・赤渕川・須津川といった河川を有する。旧来は西部に広大な富士川氾濫原(恒常的な氾濫により生活圏でない地帯)が占めまた約147 haの湿地帯が広がる地域であった。富士川氾濫原が分布する地帯は居住地とはなり得なかったため井戸が存在しない程であったが、富士川の平定によるいわゆる「加島五千石」の形成と製紙業の隆盛を経て工業地帯へと変化した。愛鷹山塊のうち最高峰の越前岳が富士市に位置し(裾野市も含む)、その富士見台は富士山がある風景100選に指定されている。また愛鷹山鋸岳に連なるキレットが特徴である。駿河湾に面する。海岸線は10 kmであり、周囲は95.9 kmである。東西に23.2 km、南北に27.1 kmの広さである。駿河トラフ(南海トラフの北端の海溝)とその延長上の富士川河口断層帯に面しているため、プレート境界型の大地震(東海地震)の危険性が指摘されており、国・静岡県・周辺自治体とともに地震対策、特に津波対策に力が入れられている。江戸時代には東海道の宿場町の一つである吉原宿が存在したが、2度の高潮(海嘯)により壊滅的な被害を受け、その度に宿場の位置が内陸部に移動している。最終的な吉原宿は現在吉原商店街になっている。東部(旧吉原市東部)は軟弱地盤を有する。第二次世界大戦前までは沼津市との間には浮島沼が広がっており、排水に問題を抱えていた。これを解決するため明治2年(1869)に現在の昭和放水路の位置に巨額と2年半という工期をかけて大規模な堀割水路を建設したが、同年高波により破壊されている。その後も水害に晒され続けており、後に県により昭和放水路が建設された。沼川を中心とする現在の東海道本線と岳南電車岳南線に囲まれた地域は浮島沼に付属する湿地帯であったが、戦後の干拓により一部を残して消滅している。しかし軟弱地盤であることは変わりなく、東名高速道路建設の際にも地盤沈下に悩まされ、砂杭類を3,000本以上埋め込み、また地下排水工の施行等で問題を解消したという背景がある。

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