ニュー新橋ビルは、新橋駅日比谷口前にある、大規模な雑居ビル。




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words=’新橋駅前にございますニュー新橋ビルなのですが、1971年(昭和46年)竣工のいわゆる雑居ビルでございます。11階建てでございます。地下1階から4階までは様々な店舗が入居し営業している商業ゾーンでございます。新橋という土地柄もあり、独特の雰囲気から「おやじビル」とも呼ばれたりするのでございます。5階から9階まではオフィス部で、10階と11階は住宅になっています。このオフィス部分に所縁のあった会社が複数入居していたので、東京在住の折は幾度となく来ております。現在でも職場の関連部署が入居しておりますが、そちらにはあんまり縁がございませんで、過去一度しか訪問したことはありませんけれど。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    ニュー新橋ビル(ニューしんばしビル)は、東京都港区新橋の新橋駅日比谷口前にある大規模な雑居ビルである。低中層階の地下1階から4階までは、飲食店、商店、金券ショップ、マッサージ店等の主としてサラリーマンを対象とする店舗が入居している、また、地下2-3階は駐車場とされており、高層階の5-9階はオフィス、10-11階は1-2DKの住宅とされている。1日の来場者は1万人を超える。特に商業区画の雰囲気には独特なものがあり、おやじビルとの愛称がある。新橋駅西口は1945年(昭和20年)5月24日に空襲を受け、その大半が焼失した。第二次世界大戦後、新橋駅西口にはヤミ市が生まれた。当初は不法占拠の露店が大半を占めたが、やがて当時の港区長であった井出光治が設立した新橋商事やテキ屋の関東松田組により、木造平屋長屋形式の「新生マーケット」が設立された。「新生マーケット」は、この種のマーケットとしては日本最大規模のものであった。1961年(昭和36年)12月には市街地改造法に基づく新橋駅西地区の都市計画及び都市計画事業が決定され、1969年(昭和44年)2月に施設建築物に着工。1971年(昭和46年)2月に竣工した。2014年(平成26年)11月5日に、地権者による協議会が、当ビル及びSL広場を含む南北約400m、面積約3haの範囲を再開発し、30階建て前後、高さ120-130mのビルを2棟以上を建設する方針を決定したと報じられた。再開発は野村不動産とNTT都市開発が行い、2023年頃の完成を目指す。再開発の一因は、ニュー新橋ビルの老朽化とされている。実際、2018年3月に東京都が公表した耐震診断の結果では、震度6強~7の地震により倒壊・崩壊の危険性が高いとされている。

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