[talk
words=’廃線になった岩内線の幌似駅の駅舎と構内施設、旧型客車スハフ42 257と、ワフ29587有蓋緩急車が展示されている、幌似鉄道記念公園でございます。隣接する国道276号線の工事のため、少し場所を移動し若干規模の縮小はありましたが、今もこのように公開されております施設でございます。元の位置にあった実物のホームと貨物側線を含む線路は撤去されております。北海道にはこのような廃線廃駅が沢山ございます。この後も廃線廃駅は増え続ける定めでございます。時代の流れと言えばそれまででございます。本気で未来の交通インフラをどうするのかキチンとした議論が国主体でなされないのがもどかしくて仕方ございません。この国のグランドデザイン含めて、しっかりしてもらいたいものでございます。’
align=r avatarshape=3 bdcolor=#1e73be bgcolor=#fff avatarsize=50 avatarimg=”https://doranekoweb.com/web-memorandum/wp-content/uploads/doraneko.png”]

DoraNeko

にほんブログ村ランキング参加中。赤いバナーをクリックしていただけると感謝感激雨アラレちゃんです。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    幌似駅(ほろにえき)は、かつて北海道岩内郡共和町幌似にあった日本国有鉄道(国鉄)岩内線の駅(廃駅)である。岩内線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月1日に廃駅となった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(岩内方面に向かって右手側)に存在した。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎と反対側の1線は、交換設備運用廃止後も側線として残っていたが、プラットホームは撤去されていた。そのほか小沢方から駅舎側に分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。職員配置駅で、駅舎は構内の北側に位置しホーム中央部分に接していた。所在地名より。地名は、アイヌ語の「ポロイチャンイ(poro-ichan-i)」(大きい・サケやマスの産卵場)に由来するとされる。幕末・明治の探検家松浦武四郎『丁巳日誌』には「ホロイチャン 多く鮭が卵を置く」とあり、それが「ホロイザンニ」「ホロニサンニ」と呼ばれるようになり、これが省略されて漢字を当てられ「幌似」となったと考えられている。このほか、「ポロナイ(poro-nay)」(大きい・川)に由来するとする説もあるが、旧記などから、上記の説が妥当と考えられている。旧駅構内は共和町により「幌似鉄道記念公園」として整備されていた。駅舎、ホーム、駅名標、側線を含む線路など廃止当時の構内施設がそのまま残る形で保存されていた。駅舎内にはさよなら列車のヘッドマークや事務備品など岩内線関連資料が保存・展示され、貨物側線には旧型客車であるスハフ42形スハフ42 257と、それに連結してワフ29500形ワフ29587有蓋緩急車の2両が静態保存・展示されていた。その後、国道276号岩内共和道路の工事のため、公園全体が移動した。本物のホームと線路は撤去、貨物ホームも埋められ屋根と痕跡を残すのみとなっている。駅舎は移設され、ホームと線路は新造、保存車両も移動した。

コメントする

目次