大阪メトロ御堂筋線の、新大阪駅でございます。

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words=’大阪メトロ御堂筋線の新大阪駅でございます。島式1面2線の高架駅でございます。大阪メトロの各駅は順次内装の改修工事が行われておりまして、この新大阪駅もプチリニューアルされております。いつも慌ただしく乗り換えするのでホームに佇んで眺める機会がございませんでしたが、こうして見ますと随分と綺麗になっておりますですな。ところで、民営化されて、それまでの大阪市営地下鉄から大阪メトロになりましたが、乗り入れ相手の北大阪急行が準大手私鉄に分類されるのに大阪メトロは中小私鉄に分類されるってな不可思議な現象がございます。まあ鉄分濃くない人には何の関係もございませんがw’
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  • Wikipediaから引用
    御堂筋線(みどうすじせん)は、大阪府吹田市の江坂駅から大阪市内を経て大阪府堺市北区の中百舌鳥(なかもず)駅までを結ぶ大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の路線。正式名称は高速電気軌道第1号線、『鉄道要覧』では1号線(御堂筋線)と記載されている。駅番号を表す際に用いられる路線記号は「M」。路線愛称の由来は、大阪市のメインストリート御堂筋の地下を走ることから。ラインカラーは都市の大動脈をイメージした臙脂色(赤、クリムゾンレッド M)である。大阪市内の主要駅である新大阪駅 – 梅田駅 – 難波駅 – 天王寺駅を直線的に結んでいる。 大阪の市内交通における大動脈かつ最重要路線であり梅田駅 – 淀屋橋駅間は日本の地下鉄では最も利用者が多く(国土交通省駅間断面交通量調査から)、梅田駅は地下鉄1路線の駅としては日本で最も利用者数が多い駅であり、Osaka Metroにおける最大のドル箱路線となっている。日本の地下鉄で最も黒字の路線でもある。地下鉄利用者数も2000年以前は日本一であったが、2019年度の1日平均輸送人員は118万5千人で、東京地下鉄(東京メトロ)の東西線、丸ノ内線、千代田線、日比谷線に次ぐ第5位、2020年度の1日平均輸送人員は84万9千人で、東京メトロ東西線、丸ノ内線、千代田線に次ぐ第4位である。江坂駅から北大阪急行電鉄南北線(北大阪急行線)と相互直通運転を行っており、当路線の延長路線として機能している。新大阪駅以北及び天王寺駅以南は主に住宅街が広がっており、郊外と大阪市中心部を結ぶ役割を併せ持つ。御堂筋線は、大阪では初、日本では東京地下鉄道に次いで2番目、公営では日本初の地下鉄であった。都市計画学者の關一第7代大阪市長により御堂筋の拡張・整備とともに計画され、1933年に大阪市営地下鉄として梅田駅(仮) – 心斎橋駅間が開業した。第二次世界大戦前から日本に存在した本格的な地下鉄は御堂筋線と当時民間(東京地下鉄道、東京高速鉄道)により建設・運営された現在の東京メトロ銀座線だけであった。御堂筋線開業以前、梅田から難波まで中心市街地が碁盤目状に形成されている大阪では、比較的早期にターミナルを構えた「私鉄王国」といわれた関西大手私鉄と、市街地のターミナル駅を直線的に結ぶ路線のある大阪市電の路線網が支持されていた。このような背景を持つ大阪市街において、南北のターミナルである梅田駅・難波駅・天王寺駅に加え、大阪市庁が所在するビジネス街の淀屋橋や、一大繁華街である心斎橋などを直線的に結んだ御堂筋線は、開業以来大阪都心部の大動脈として不動の地位を築いた大阪市電に代わり、大阪の地下を高速で結ぶ新たな大動脈として作られた。開業当時から先進性の高い路線で、天井が高いかまぼこ型の宮殿型天井や10両編成でも十分に停められる長いホーム、エレベーターなどが装備されていた。しかし、当時の大阪市電と比較すると料金が高かったことや、地下に一度降りなければ利用できないことなどから、市電と比較すると身近ではなかったようである。戦中、地下に避難できれば焼夷弾を免れるなどの理由から徐々に存在感が増していき、市民に身近な存在として受け入れられていった。戦後、モータリゼーションの激化により大阪市電が順次廃止され、1964年9月に東海道・山陽新幹線との乗り換え駅である新大阪駅が加わると、御堂筋線の重要度はさらに増した。市営モンロー主義の緩和もあり、御堂筋線と接続していなかった私鉄線もまず京阪本線が天満橋駅から1963年4月に淀屋橋駅まで、次いで近鉄奈良線(難波線)が1970年3月に大阪上本町駅(旧上本町駅)から大阪難波駅(旧近鉄難波駅)まで延伸され、御堂筋線と接続した。他の地下路線との交差部分は、淀屋橋駅の京阪本線以外は、御堂筋線が上を通っている。

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