奥行臼駅は、かつて別海町奥行にあった、JR北海道標津線の駅 (廃駅) 。






















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words=’1989年(平成元年)に廃線となったJR北海道標津線の奥行臼駅跡でございます。残っているのは駅舎ぐらいで、あとは撤去されてしまっているのかな~とか思いながら来てみたら今もなお駅舎とホーム、線路が廃止時のまま残されております。これにはビックリしましたですな。ここで接続していた別海村営軌道風蓮線の奥行停留所もすぐ傍らに残されております。別海町ではこの周辺を奥行臼史跡公園として再整備する計画なのだそうで。いいですな~。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    奥行臼駅(おくゆきうすえき)は、北海道野付郡別海町奥行にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線の駅である。標津線の廃止に伴い、1989年(平成元年)4月30日に廃駅となった。かつては、別海村営軌道が当駅で接続していた。地名はアイヌ語の「ウコイキウㇱイ(ukoyki-us-i)」(けんかする・いつもする・所)に由来する。この地で根室ポロモシリ村のアイヌと、厚岸のアイヌが戦をしたとされることによる。貨物及び荷物取り扱い廃止までは、島状の1面1線の単式ホームと、駅舎とホームの間に貨物積降線1本、及びホーム外側に厚床側から引き入れた留置線を有した。駅舎は構内の西側(中標津方面に向かって左側)にあって地面に直接建てられ、ホーム中央の駅舎側に設けられた階段へ、線路を横切る形で連絡した。駅舎横の中標津寄りには、ホーム状の貨物積降場が設けられていた。貨物及び荷物取り扱い廃止後は貨物積降線が撤去され、路線廃止まで本線と留置線の構造であった(現在遺構に立てられている看板に書かれた「貨物引込線」とは、駅舎とホーム間の貨物積降線のことである)。1963年から1971年まで、別海町上風連まで繋がる殖民軌道風連線(別海村営軌道)の停車場と、そこから駅前を横切って当駅の貨物積降場まで伸びる貨物用線があった。木造駅舎・詰所と線路が廃止時のまま保存されている。さらに側線を復元敷設している。貨物ホームの先には、春別駅跡から移築した職員用風呂場が設置された。駅舎内には運賃表、時刻表が掲示されてあり、来訪記念スタンプが置かれている。出札窓口のガラスにJRマークのステッカーが若干剥がれかけているものの残っている。その他にも「JR北海道」のステッカーが貼ってあるガラスがある。駅舎・詰所とホームは、別海町の有形文化財に指定されている。駅近くには、別海村営軌道の自走客車と機関車、貨車が保存されている。2021年、別海町教育委員会は、旧奥行臼駅逓所(国指定史跡)、旧国鉄奥行臼駅(町指定文化財)、旧別海村営軌道風蓮線奥行停留所(町指定文化財)などが集中する約23ヘクタールを「奥行臼史跡公園」として整備する方針を固めた。

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