横手駅前広場の石像、かまくらでございます。




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words=’横手を代表する祭で420年~450年の歴史があるという横手のかまくらでございますが、ワタクシは観光行事だと思っていたのでございます。そもそもが雪洞のことだと思っていましたが、小正月の伝統行事なんですな。横手駅前広場にかまくら像がございました。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    かまくらとは秋田県、新潟県など日本の降雪地域に伝わる小正月の伝統行事。雪で作った「家」(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀る。一般には、伝統行事で作られるものに限らず、雪洞自体が「かまくら」と呼ばれる。また、新潟県の魚沼地方では、同様の雪洞や行事のことを「ほんやら洞」という。かまくらの語源は、形が竃(かまど)に似ているから「竃蔵」であるとする説や神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものであるとする説などがある。京都御所清涼殿で行われていた吉書焼きの左義長の遺風をうつしたものといわれ、鎌倉時代初期に二階堂氏がこの地方の地頭となった時に始まり、豊作祈願の火祭として続けられた。六郷(秋田県美郷町)のカマクラ行事の場合、現在の形が定着したのは江戸時代初期の頃といわれている。秋田県内にはこのほか仙北市(旧・角館町の火振りかまくら)や横手市などにも伝わっている。また、新潟県の魚沼地方では、「ほんやら洞」という同様の伝統行事が行われている。横手のかまくらは、420年~450年の歴史がある、横手を代表するお祭り。かまくら建造自体は祭礼ではなくあくまでも行事であり、1988年の昭和天皇病気療養時にも自粛せずに開催されている。一方で、横手の「雪まつり」(小正月行事)は、約280年の歴史があるとされている「ぼんでん」とは不可分の祭礼である。現在のような行事になったのは明治30年以降のことで、左義長の行事と水神を祀る行事が合わさり、さらに子供の行事となったものである。昭和11年(1936年)にこの地を訪れたドイツ人建築家ブルーノ・タウトが『日本美の再発見』の中で、子供たちが雪洞の中に祭壇を設けて水神を祀り餅などを食べたり鳥追いの歌を歌ったりして遊んだりする、この素朴で幻想的な情景を「まるで夢の国」と絶賛したこともあり、ますます盛んになり観光客が増えたという。しかし、その後の生活様式の変化の影響を受け、家々でのかまくら作りは激滅し、モデルかまくらを中心とした観光行事としての色合いが強くなった。一方、伝統的なかまくらの復興を望む声もあり、羽黒のかまくら、ウェルカムかまくら、一戸一かまくら運動などが横手市の地域団体によって展開されている。

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