吹浦駅前にある、初代鉄道助佐藤政養の銅像でございます。




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words=’吹浦駅前に大層立派な銅像がございました。初代鉄道助で、明治初期の蘭学者、鉄道技術者であった佐藤政養さんというお方だそうでございます。日本初の鉄道路線となる新橋~横浜間の鉄道敷設に尽力、また中山道の線路敷設を提案し中山道幹線敷設に繋げた人物なのだそうです。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    佐藤 政養(さとう まさやす、文政4年12月(1821年) – 明治10年(1877年)8月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治初期の蘭学者、鉄道技術者。通称は与之助。号は李山。出羽国飽海郡升川村(→直世村升川→現・遊佐町直世升川)の農民佐藤与兵衛の長男。幼い頃から才気煥発で、1853年(嘉永6年)8月に上京し、勝海舟に砲術、伊藤鳳山に漢籍、佐藤恒俊に彫刻をそれぞれ学んだ。1855年(安政2年)庄内藩砲術方を命じられ、同年9月長崎海軍伝習所の生徒として長崎に至り、グイド・フルベッキに測量や軍艦操練を学ぶ。同年に庄内藩組外徒士格、江戸幕府軍艦操練所蘭書翻訳方として役付きとなった。1862年(文久2年)に大坂台場詰鉄砲奉行、1864年(元治元年)に神戸海軍操練所を司り、14代将軍徳川家茂の大坂港視察に帯同した。また幕閣に神奈川に代わる横浜開港を建議した。明治維新後は民部省の初代鉄道助となり、日本初の鉄道路線となる新橋 – 横浜間の鉄道敷設に尽力した。また、1870年(明治3年)に小野友五郎と共に東海道の調査を行い、中山道の線路敷設を提案した調査報告書を上申、この案が中山道幹線敷設に繋がった。1876年(明治9年)5月、病気により依願免官し、翌1877年(明治10年)8月2日に55歳で死去。墓所は東京都港区の青山霊園にある。1928年(昭和3年)従四位。1964年(昭和39年)、国鉄吹浦駅前に銅像が建てられた。地元では、鉄道の日である毎年10月14日に顕彰祭を行っている。

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