美幌駅前にある「君の名は」の石碑でございます。




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words=’小生が幼少のみぎりに大ヒットしていた「君の名は」なのでございます。元はラジオドラマ、後に映画化、更にはリバイバルで宝塚歌劇団によって舞台化されたこともあるのだそうです。東京の数寄屋橋が舞台のはずなのに何で美幌に石碑があるの?と調べてみるに、映画では北海道編なるものもあって、美幌峠でロケを行っているんですね。近年はアニメで同名の作品があるそうですが、それとは別物でございますね。「忘却とは忘れ去ることなり」のフレーズは意味の分からぬ物心つく前の子供の頃にさんざん聞いた覚えがあるんですよねw’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    『君の名は』(きみのなは)は、1952年から1954年に日本のNHKラジオで放送されたラジオドラマである。小説化、映画化、テレビドラマ化、舞台化もされた。脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。ただし、最初の半年間は菊田が「人々の戦争体験を主題に」シリアスタッチで描いていたため、あまり人気はなかった。当初は、東京・佐渡・志摩半島に住む家族を並行する社会派ラジオドラマを目指していた。真知子と春樹との恋愛にドラマが集中し始め、初めて人気番組となった。「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったという。ただし、この銭湯でのエピソードは、「アメリカでの事実を基に、松竹の宣伝部が作った虚構である」という説も根強い。ラジオドラマの人気を受けて1952年から菊田による小説版が新聞連載ののち宝文館から出版された。1953年には松竹で映画化されると大ヒットを記録し、氏家真知子のストールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれて女性の間で流行した。これは、主演の岸惠子が北海道でロケの合間に現地の寒さをしのごうと、神奈川県横浜市中区の馬車道界隈の店で購入して持参していた私物のストールを肩から一周させ、耳や頭をくるんでいたことによるとされる。この姿はカメラが回っている時にも使われることになり、「真知子巻き」が誕生した。真知子と春樹が出会い、再会した数寄屋橋のシーンでしていたというのは間違いである。ただし、第一部の冒頭、佐渡に渡る船上でも真知子は「真知子巻き」に類したストールの巻き方をしている。真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きてなかなか会うことができない。この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。これは後の恋愛ドラマでもよく見られる描写(演出)であり、本作はこのパターンの典型にして古典となっている。2020年の連続テレビ小説『エール』でも劇中劇として使われた。劇中では真知子役は恒松あゆみ、春樹役は三木眞一郎、アナウンサー(語り部)役は尾田木美衣が務めた。

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