与儀公園にある、蒸気機関車D51222号機。

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words=’与儀公園にある蒸気機関車D51222号機でございます。ゆいレールが出来るまでは鉄道の無かった沖縄県に蒸気機関車を贈るという目的で、当時の国鉄職員の呼びかけによる募金によって1973年に鹿児島からここまで600kmの海上をはるばる航送され、運ばれてきた機関車なのだそうです。現役時代は南延岡機関区に所属していた車両とのことでございます。付近は戦争で破壊されてしまった沖縄県営鉄道与那原線の路線跡なので、ここに置かれることになったんでしょうかね、知らんけど(←知らんのかい)。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    D51形蒸気機関車(D51がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄における所属総数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。この記録は現在も更新されていない。この他に、台湾総督府鉄道向けに32両、胆振縦貫鉄道(1944年(昭和19年)に国有化)向けに5両(再掲)が製造され、戦後はソビエト連邦サハリン州鉄道向けに30両、台湾鉄路管理局向けに5両、朝鮮戦争における国連軍向けの標準軌仕様機が2両製造されており、製造総数は1,184両に及ぶ。また、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には、西日本旅客鉄道(JR西日本)に1両(200号機)が継承され、翌1988年(昭和63年)には東日本旅客鉄道(JR東日本)で1両(498号機)が復籍し、この2両が動態保存されている。JR東日本の498号機は復籍後の初仕業で来日中のオリエント急行を牽引して復活、西日本の200号機は2017年(平成29年)に山口線のSLやまぐち号で、本線運転に復帰した。現場の機関士にも操作性の良さから人気があり「デゴイチ」の愛称は、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。また、「デコイチ」という愛称もある。

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