川内駅前にある、大伴家持像でございます。




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words=’川内駅前で大伴家持像に遭遇いたしました。この人は、あちこちに赴任してるんですな~。薩摩国司として川内にも赴任しているんですな。知らんかったな~、でございます。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    大伴 家持(おおとも の やかもち)は、奈良時代の公卿・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残し、延暦年間には中納言にまで昇った。昭和56年(1981年)の第1回高岡万葉まつりを記念してJR高岡駅北口駅前広場に大伴家持像が設置された。その後、JR高岡駅周辺整備事業に伴って一時撤去して修理された際、家持の赴任地の越中国府が存在した伏木地区へ像を移転する意見も出されていたが、最終的には高岡駅のシンボルとして駅北口に再び設置されることになった。また、薩摩国司として赴任した鹿児島県薩摩川内市の川内歴史資料館近くおよび川内駅前にも、「未来へ語る歴史像」の一つとして大伴家持像が存在する。

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