尾張旭駅北口にある南北朝時代の武将、水野又太郎良春の像。

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尾張旭駅北口にある、南北朝時代の武将、水野又太郎良春の騎馬像でございます。尾張旭市を代表する伝統芸能の一つとなっている「棒の手」を吉野の修験道から持ち込んだ人なんだそうですな。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    水野 良春(みずの よしはる)は、南北朝時代の武将。通称は又太郎。号は無二。志段味城主、また尾張国山田郡新居(愛知県尾張旭市新居町)に進出して、新居城主となった。桓武平氏高望流、平良兼の子孫、尾張国山田郡水野郷(愛知県瀬戸市)に住した水野氏の一門である水野基家の曾孫と伝えられ、志段味郷(名古屋市守山区)を拠点とした豪族。元々、水野氏は承久の乱で水野高康が朝廷側で戦うなど尊皇であったが、元弘元年(1331年)の元弘の乱では、良春が護良親王を擁した吉野金峯山寺僧兵団の将として戦った。建武の新政が始まると、一時、郷里の志段味郷に帰ったが、延元元年(1336年)には吉野に戻って、南朝方として転戦した。その後、再び志段味郷に帰り、志段味城を築城。康安元年(1361年)に隠遁し、志段味郷の南を開墾して、新居村を開いた。応安元年(1368年)、弟の報恩陽を定光寺から招聘し、新居村に退養寺を開山。応安7年(1374年)に新居城を築いて、一族の居城としたが、この年に没し、退養寺に葬られた。なお、水野氏の末裔の多い新居村には、良春が吉野の修験道から持ち込んだとされる棒の手が伝えられた。良春の号「無二」をとって無二流と称され、現在では尾張旭市を代表する伝統芸能の一つとなっている。

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