DoraNeko 赤いバナーを押していただけると感謝感激雨アラレちゃんです。 豊橋市公会堂前にあった、公会堂と電車のデザインマンホール蓋でございます。駅前停留場のホームにあったものと同デザインのマンホール蓋でございますが、本物の豊橋市公会堂の前にあったんで、この際再掲でございます。 DoraNeko 赤いバナーを押していただけると感謝感激雨アラレちゃんです。 路上の芸術「道のフタ」 愛知県 レトロ 風景 観光名所 街並み 豊橋市 市役所前停留場 この記事が気に入ったら フォローしてね! Follow @web_dora よかったらシェアしてね! URLをコピーしました! URLをコピーしました! 二羽の鷲@豊橋市公会堂 札木停留場(豊橋鉄道) 関連記事 八千代市のマンホール蓋@八千代中央駅 2025年3月10日 瑞穂区役所駅(名古屋市営地下鉄) 2023年11月18日 デザインマンホール蓋@久喜駅 2025年1月19日 豊橋市マンホール蓋@新川電停 2024年1月16日 デザインマンホール蓋@駅前電停 2024年1月14日 ポケフタ@梅小路京都西駅 2024年8月28日 とこにゃん(常滑市) 2021年12月3日 藤川駅(名古屋鉄道) 2024年3月22日 お気軽にコメントをお寄せください コメント一覧 (1件) Wikipediaから引用 豊橋市公会堂(とよはししこうかいどう)は、愛知県豊橋市今橋町にある市立の公会堂。式典や講演会等、各種イベントに利用されている。国の登録有形文化財。大正デモクラシーの最中に豊橋市でも公会堂建設を望む声が上がり、1922年(大正11年)に建設案が市議会に提出される。1930年(昭和5年)に中村與資平の設計で建設が開始され、翌1931年(昭和6年)に竣工。鉄筋コンクリート造。外観はロマネスク様式を基調とし、スペイン風の円形ドームは、スパニッシュ・コロニアル・リバイバル建築という、1910年 – 20年代にカリフォルニア州で流行した、スペイン統治時代の建築様式の復興を試みたスタイルを模倣したものである。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)6月、豊橋空襲で市が大きな被害を受けた際には焼け残ったため、豊橋市役所の機能が移転したほか、1948年(昭和23年)から1952年(昭和27年)までは豊橋中央公民館として、1969年(昭和44年)から1979年(昭和54年)までは1階部分が市民窓口センターに使用された。その後、新たに中央公民館が設置されたため、再び公会堂に戻り現在に至る。講堂客席部を中心に改修を続けてきたが、外観はもちろん、ほとんどのドアや窓サッシ等は当時のままである。戦中に供出された金物も一部復元され、正面外観を飾っている。 返信 DoraNeko へ返信する コメントをキャンセルコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 Δ
Wikipediaから引用 豊橋市公会堂(とよはししこうかいどう)は、愛知県豊橋市今橋町にある市立の公会堂。式典や講演会等、各種イベントに利用されている。国の登録有形文化財。大正デモクラシーの最中に豊橋市でも公会堂建設を望む声が上がり、1922年(大正11年)に建設案が市議会に提出される。1930年(昭和5年)に中村與資平の設計で建設が開始され、翌1931年(昭和6年)に竣工。鉄筋コンクリート造。外観はロマネスク様式を基調とし、スペイン風の円形ドームは、スパニッシュ・コロニアル・リバイバル建築という、1910年 – 20年代にカリフォルニア州で流行した、スペイン統治時代の建築様式の復興を試みたスタイルを模倣したものである。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)6月、豊橋空襲で市が大きな被害を受けた際には焼け残ったため、豊橋市役所の機能が移転したほか、1948年(昭和23年)から1952年(昭和27年)までは豊橋中央公民館として、1969年(昭和44年)から1979年(昭和54年)までは1階部分が市民窓口センターに使用された。その後、新たに中央公民館が設置されたため、再び公会堂に戻り現在に至る。講堂客席部を中心に改修を続けてきたが、外観はもちろん、ほとんどのドアや窓サッシ等は当時のままである。戦中に供出された金物も一部復元され、正面外観を飾っている。 返信
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