豊橋市公会堂前にあった、公会堂と電車のデザインマンホール蓋。

豊橋市公会堂前にあった、公会堂と電車のデザインマンホール蓋でございます。駅前停留場のホームにあったものと同デザインのマンホール蓋でございますが、本物の豊橋市公会堂の前にあったんで、この際再掲でございます。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    豊橋市公会堂(とよはししこうかいどう)は、愛知県豊橋市今橋町にある市立の公会堂。式典や講演会等、各種イベントに利用されている。国の登録有形文化財。大正デモクラシーの最中に豊橋市でも公会堂建設を望む声が上がり、1922年(大正11年)に建設案が市議会に提出される。1930年(昭和5年)に中村與資平の設計で建設が開始され、翌1931年(昭和6年)に竣工。鉄筋コンクリート造。外観はロマネスク様式を基調とし、スペイン風の円形ドームは、スパニッシュ・コロニアル・リバイバル建築という、1910年 – 20年代にカリフォルニア州で流行した、スペイン統治時代の建築様式の復興を試みたスタイルを模倣したものである。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)6月、豊橋空襲で市が大きな被害を受けた際には焼け残ったため、豊橋市役所の機能が移転したほか、1948年(昭和23年)から1952年(昭和27年)までは豊橋中央公民館として、1969年(昭和44年)から1979年(昭和54年)までは1階部分が市民窓口センターに使用された。その後、新たに中央公民館が設置されたため、再び公会堂に戻り現在に至る。講堂客席部を中心に改修を続けてきたが、外観はもちろん、ほとんどのドアや窓サッシ等は当時のままである。戦中に供出された金物も一部復元され、正面外観を飾っている。

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