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DoraNeko大覚寺でございます。正式名称は旧嵯峨御所大覚寺門跡でございます。ワタクシ12年振りの訪問となっております。高校生の頃に太秦で映画のエキストラのアルバイトをしておりましたので、ここと大沢池はロケで頻繁に訪れた場所なのでございます。今でも瞼に残るシーンがあるのでございますよ、そこの奥さん(←何処の奥さん?)。


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コメント一覧 (1件)
Wikipediaから引用
大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗大覚寺派の大本山の寺院。山号は嵯峨山。本尊は不動明王を中心とする五大明王。開山は恒寂入道親王である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。また、嵯峨天皇を流祖と仰ぐ華道嵯峨御流の総司所(家元)である(正式名は旧嵯峨御所大覚寺門跡)。時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、寺の境内(大沢池や明智門など)は(特に時代劇の)映画やテレビなどの撮影によく使われている。嵯峨野の北東に位置するこの地には、平安時代初期に在位した嵯峨天皇が離宮を営んでいた。嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、離宮内に五大明王を安置する持仏堂の五覚院を建て、修法を行ったのがそもそもの起源とされる。その後、嵯峨天皇が崩御してから30数年後の貞観18年(876年)、皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が離宮を寺に改めたのが大覚寺である。嵯峨天皇には甥にあたる恒寂(ごうじゃく)入道親王(淳和天皇皇子、仁明天皇の廃太子)を開山(初代住職)とした。