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DoraNeko整理札を首から掛けて見学順路に従って京都御所を見学させていただいております。御所内に入った経験は、ワタクシ幼い頃にもないはずなのでございます。ひょっとしたら小学生の頃に学校行事か何かであったのかも知れないんですけれど、記憶にはありません。次は春興殿でございます。大正天皇の即位礼に際して皇居から神鏡を一時的に奉安するために建てられたもので、昭和天皇の即位礼でも使用されたそうです。




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コメント一覧 (1件)
Wikipediaから引用
春興殿(しゅんこうでん、しゅんきょうでん)は、平安京内裏十七殿の一。紫宸殿の南東、日華門の南にあり、西の安福殿と大庭をへだてて相対する。武具などを置いた。鎌倉時代、神鏡を置き、内侍所(賢所)ともなる。 身舎は東西2間、南北7間、北廂は東西2間、南北1間、東廂は東西1間、南北8間、東の孫廂は東西1間、南北6間、その南の方東西1間、南北2間は東、南が塀に囲まれる。南面中央に1間四方の廂であると思われる所がある。身舎の西面、北、および南からの第二の間に戸口があり、その前が土廂である。里内裏の春興殿は日華門の北、内侍所を奉安としたという。現在の京都御所にも同名の殿舎があるが、平安時代の頃の春興殿とは、位置関係が異なり、安政年間に造営された内侍所(賢所)のあった場所に大正天皇の即位礼にあたり造営された。