押していただけると感謝感激雨アラレちゃんです




姫路城東側にあった喜斎門の跡、入口付近に建っている国土復興祈願塔でございます。説明板によりますと「昭和二十年八月大東亜戦に於て日本国無條件降伏 敗戦 国土の大半焼土と化す 人心の不安其の極に達す 釈迦如来の経典に拝す国土の乱るる時は国土の諸々方方に釈迦 多宝佛の宝塔を建立すべし 是国家鎮護の妙典也と 仏の金言真実也疑ふ可からず 信ずべし崇むべし 恐々謹言 尚戦禍の犠牲となられた戦死者 戦没者の御霊魂の成佛を祈念する為 佛舎利塔の建立を計画 印度国ネール首相に釈迦佛の御舎利を御贈与被下る様懇願手続準備中也 昭和二十一年八月八日建之 日本山妙法寺 山主 藤井日達猊下 信徒 発願者 仏使 姫路市 永谷孫一合掌三拝」とのことでございました。


お気軽にコメントをお寄せください
コメント一覧 (1件)
Wikipediaから引用
姫路城(ひめじじょう)は、兵庫県姫路市にある日本の城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されている。また、主郭部を含む中堀の内側は「姫路城跡」として国の特別史跡に指定されている。また、ユネスコの世界遺産(文化遺産)リストにも登録され、日本100名城などに選定されている。別名は白鷺城。姫路城は播磨国飾磨郡の、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山の中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つで、中堀以内のほとんどの城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。1993年(平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。この他、「国宝五城や「三名城」「三大平山城・三大連立式平山城」の一つにも数えられている。姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある。戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。1992年(平成4年)、日本は世界遺産条約を批准すると、世界遺産暫定リストに姫路城などを記載した。そして姫路城は最初に推薦された物件の一つとなり、1993年(平成5年)12月11日、法隆寺地域の仏教建造物とともに日本初の世界遺産(文化遺産)に登録された。後述するように、木造建築物であり抜本的な修理工事を経ている姫路城の登録は、文化財のオーセンティシティ(真正性、真実性)をどう評価するかという問題を改めて提起し、その後の世界遺産登録にも大きく影響した「奈良ドキュメント」成立につながった。この年から石井幹子による夜間照明の演出が始まる。令和5年から順次LED照明に切り替えられる。この世界遺産登録を機に制定されたのが「平成中期保存修理計画」である。このときには大天守の修理は昭和の大修理から50年を経て別途検討することとなっていたが、その後の破損などを踏まえて計画が前倒しされ、2009年(平成21年)から2015年(平成27年)に姫路城大天守保存修理工事が行われることとなった。これがいわゆる「平成の大修理」である。