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愛の像@東京駅丸の内口
愛の像@東京駅丸の内口
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愛の像@東京駅丸の内口
愛の像@東京駅丸の内口

東京駅丸の内駅前広場にある「愛の像(アガペの像)」でございます。この像は広島平和記念公園の「祈りの像」なども手がけた彫刻家の横江嘉純さんの作品で、戦争で亡くなった人々への鎮魂と世界平和を祈り、横江さんが無償で制作した平和のシンボルでございます。建設資金は巣鴨プリズンで亡くなった戦犯らの遺書をまとめたベストセラー「世紀の遺書」の印税で賄われております。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    かつての丸の内側の赤レンガ本駅舎は1945年(昭和20年)5月25日のアメリカ軍による空襲(東京大空襲)により炎上、内装と屋根を焼失した。戦災復興工事によって、失われたドーム屋根にかわって木造8角形の屋根が載せられ、内部は3階の窓の開口部は保持されたが、残存したアーチなどのレリーフは新設されたローマのパンテオン風の意匠によるジュラルミン製のドームによって隠された。終戦後の1947年(昭和22年)、開業当初の状態より一回り規模を縮小して修復された。GHQの体制下応急処置的に工事が行われ、屋根の小屋組については復員してきた海軍の技師が5年もてばよいということで、薄い木材のトラス造りで応急的に工事をしたという。一方、実際に工事にあたった関係者は、あくまで国鉄内部の技術者が修理したのであって旧海軍の技術者が関わったという説は何の根拠もないと主張している。この復旧された駅舎は、応急復旧のままで60年余りが過ぎることになった。旧・日本国有鉄道(国鉄)は戦後度々赤レンガ駅舎の建て替え構想を出しては延期しており、1987年(昭和62年)4月1日の分割民営化の時には当駅全体の土地の3分割を伴った再開発構想が提案され、赤レンガ駅舎の建て替え高層化か保全をするかが本格的に課題となった。これに対して、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」などによる赤レンガ駅舎保存の市民運動が起こった。1988年(昭和63年)、政府は学識者の委員会による東京駅周辺地区再開発構想を取りまとめ、赤レンガ駅舎の現在地での形態保全の方針を決定し、JR東日本などの検討により1999年(平成11年)、本来の形態に復原することとなった。また、2003年(平成15年)4月18日には国指定の重要文化財に指定された。復原工事に先立って2006年(平成18年)3月17日 – 31日に丸の内駅舎内で「東京駅ルネッサンス」が開催され、2007年(平成19年)5月30日より、鹿島・清水・鉄建 建設共同企業体が担当となって、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する工事が開始された。この工事では、鉄骨鉄筋コンクリート壁で躯体を増築して建築当初の3階建てに戻した上で、外壁、尖塔、南北両ドームの内外の意匠も再現し、新たに地下1・2階を増築し免震装置を設置した。免震装置には地上部分と地下部分との間に免震ゴムとオイルダンパーを設置した。2012年(平成24年)6月10日に、復原された駅舎の一部(1階部分)が再開業し、同年10月1日に全面再開業した。また、復原工事に伴って2006年(平成18年)4月から営業を休止していた駅舎内の「東京ステーションギャラリー」(東日本鉄道文化財団運営)も全面再開業と同日に拡大再開業し、翌々日の3日には「東京ステーションホテル」も規模を拡大して再開業した。地下には新規にレストランが開業した。

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