大津事件の起きた場所付近にある興味深い建物その2、島林書店。

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words=’大津駅から続く浜大津に向かう坂道と旧東海道がクロスする中央二丁目南交差点でございます。大昔にここのレトロモダンな擬洋風な建物に興味があった拙者の幼少時分、何で興味があったのかは既に忘却の彼方でございますが、通りかかってそういえはそうだったな~的に適当な思い出し方をしてしまいましたので~な記念撮影でございます(←なんのこっちゃw)。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    大津事件(おおつじけん)は、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ (後の皇帝ニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件である。湖南事件(こなんじけん)とも呼ばれる。当時の列強の一つであるロシア帝国の艦隊が神戸港にいる中で事件が発生し、まだ発展途上であった日本が武力報復されかねない緊迫した状況下で、行政の干渉を受けながらも司法の独立を維持し、三権分立の意識を広めた近代日本法学史上重要な事件とされる。裁判で津田は死刑を免れ無期徒刑となったが収監の翌々月に死亡した。日本政府内では外務大臣・青木周蔵と内務大臣・西郷従道が責任を負って辞職し、6月には司法大臣・山田顕義が病気を理由に辞任した。

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