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DoraNeko

四条通の桂川に架る松尾橋でございます。このコンクリート橋が現在の橋に架け替えられたのは1953年(昭和28年)でございまして、吾輩と同い年でございます。この橋の上流、向かって左側はかつて毎年夏になるとブルトーザーで掘られた仮設プールが設営された河原でございます。この仮設プールは昭和35年から昭和51年まで続いていた、と何かの記録で読みましたですね。毎年ここに来て泳いだことは鮮明に記憶しております。また、町内の年下の男の子が本来遊泳が禁止されている本流でシュノーケル遊びをしていて水死してしまった事故もございました。発見されたのは橋の下だったそうです。それと、吾輩は太秦の撮影所でエキストラのアルバイトを数年にわたりしていたのですが、この桂川の河原で何度かロケの仕事をしたこともございました。遠い昔になりましたな。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    松尾橋(まつおばし、まつおはし)は、京都府京都市右京区と西京区間の桂川に架かる橋。松尾・嵐山東地区から四条河原町方面を結ぶ四条通(京都市道186号嵐山祇園線)の一部を構成する道路橋である。松尾大社の東側にあり参道に近く、橋は京都市街と洛西を結ぶ位置にある。松尾大社には高さ2mほどの石灯籠が門前南側にあることから、松尾橋ができるまでは桂川のさらに下流の上野橋や桂橋からの参詣道がメインルートだったが、松尾橋の完成により参詣者には近道となった。もとは簡易な木橋で1935年(昭和10年)と1945年(昭和20年)の洪水で流失している。現在の橋は1953年に完成。1971年に道路が拡張され橋長200m、幅員11mの橋となっている。流域は昭和30年代まで鄙びた農耕地帯であり、かつては京都の中心へ丹波の材木を供給する拠点でもあった。また、映画会社の撮影所に近く、木橋の時代には度々映画やドラマの撮影場所として使われた。大映京都撮影所のカメラマンだった森田富士郎の話では、かつて松尾橋周辺の河原は時代劇映画の撮影場所として絶好のロケ地であったという。特にアカマツ林があった橋の上流側の左岸は大名行列の撮影に最適で、近隣には庄屋風の土蔵が建つ集落もあり、どんな画もそこで撮影できたと述べている。戦後、コンクリートの永久橋になってからは、橋の上にカメラを据えることはあっても、橋を写すことはないという。現代劇映画では、鬼龍院花子の生涯(昭和57年、監督五社英雄)で川沿いのシーンが撮影されている。橋の西詰で阪急電鉄嵐山線と交差し、物集女街道(府道西京高槻線)に接続する。交差点に阪急の松尾大社駅があり、大鳥居をくぐると松尾山麓に松尾大社が鎮座する。橋の東詰からは堤防の「罧原堤」が上流に向かって伸びている。堤防の東側は梅津地区で、かつては嵯峨、桂と共に、丹波から下ってくる材木が集積される川港だった。また、東詰には京都市営バスの停留所「松尾橋」がある。バス停のある広い旋回場(ロータリー)は、かつて京都市電梅津線の終点「松尾橋」の名残りで、当時は京都市営トロリーバスが走っていた。

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