松山観光港に到着、上陸いたします。

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DoraNeko

広島港からわずか1時間で松山観光港に到着しましたですよ。流石はスーパージェッタースーパージェットですな。ここからバスで伊予鉄道高浜線の高浜駅に移動します。松山市内行のリムジンバスが出ているのに何故?理由はカンタン、乗り鉄するからですやん。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    松山観光港(まつやまかんこうこう)は、カーフェリーをはじめとした船舶の大型化に伴って高浜港が手狭になったために、高浜港の北に新たに設けられたもので、通称は観光港。当初は高浜新港と呼ばれた。現在の旅客ターミナルの建物は2000年10月7日にオープンした二代目である。現在のターミナル建て替えにあたっては地方自治体(愛媛県・松山市)、地元交通企業および建て替え時点の就航会社(伊予鉄道・石崎汽船・瀬戸内海汽船・関西汽船・ダイヤモンドフェリー)および金融機関(伊予銀行・愛媛銀行・愛媛県信用農業協同組合連合会)が出資した第3セクターの松山観光港ターミナル株式会社が1998年に設立され、建て替え工事完成後は同ターミナルの管理・運営を行っている。伊予鉄高浜線高浜駅より連絡バス約2分または徒歩約10分。松山市内直行の松山観光港リムジンバスもある。イメージキャラクターとしてJINCO作の「まつやまかんこっこ」が採用されている。高浜港(たかはまこう)は、明治20年代に開かれた港である。もともと松山港は、三津浜地区が藩政期からの港であったが、高浜が興居島を前面にした天然の良港であることから、1892年に伊予鉄道が高浜へ鉄道を伸ばした。ところが満足な港湾設備がなかったことから、さしたる利用はなく、1902年に宇品航路が開設された際も、三津浜港を寄港地としていた。伊予鉄道では同航路を誘致しようと、高浜港に桟橋を建設し同航路の寄港地を高浜へ変更させることに成功したが、もともと高浜への鉄道延伸自体を快く思っていなかった三津浜町(松山市への合併前)の反発を買った。その後、1906年に兵員輸送の必要性から軍の要請によって待合所・倉庫等の港湾施設が整備されるなど高浜港の充実に古くからの港町であった三津浜町は激しく反発。当時の伊予鉄道社長・井上要は進歩党の代議士でもあったことから、政友会と進歩党との政界を巻き込んだ激しい争いとなり、三津浜派は1907年に伊予鉄道に対抗する形で松山電気軌道という新しい鉄道会社を設立。1911年の開業後、激しい客引き合戦を行った。松山電気軌道は運営に苦しみ、鉄道院の勧告もあって1921年に伊予鉄道が吸収合併している。その後、瀬戸内海においてカーフェリーが普及してきたが、高浜港は中型以上のカーフェリーに対応できにくい桟橋の構造であり、柳井港との航路を有する三津浜港とは機能をすみわける形で共存してきた。さらに手狭になったこともあって、関西、九州、広島方面などほとんどの航路は北の松山観光港へ移り、現在、高浜港を利用するのは忽那諸島や興居島への旅客船・カーフェリーのみとなっている。伊予鉄道高浜線の高浜駅が、道を隔てたすぐ近くにある。フェリー乗降口の隣に駐車場(有料)があり、切符売り場兼待合所の建物も隣接している。

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