青の洞門は、大分県中津市本耶馬渓町にある洞門(隧道・トンネル)。














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words=’諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれる青の洞門でございます。耶馬渓を代表する名勝である競秀峰の裾野にございます。現在でもトンネル内の一部に明かり採り窓などの手掘り部分が残っているのでございます。昔の方は、悟りを開くために諸国遍歴の旅をさなったのでございます。実はワタクシもご他聞に漏れずそうなのでございます(←ほんまかいなw)。それにしてもノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたっつうのは、そりゃあ苦行難行であり、偉業でございますことよ。ワタクシもそのようにありたいものでございます。 ‘
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    青の洞門(あおのどうもん)は、大分県中津市本耶馬渓町樋田にある洞門(隧道、トンネル)である。名勝耶馬渓に含まれ、山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾に位置する。全長は約342mで、そのうちトンネル部分は約144m。大分県の史跡に指定されるとともに、耶馬日田英彦山国定公園の域内にも含まれる。晩秋の紅葉時期は特に観光客が多い。地域住民らは一帯の地名にちなんだ「青」をアピールするため、対岸一帯に春には水色の花が咲くネモフィラを植えている。地形の関係上、一部では幅員が狭いため信号を使った片側交互通行が行われている。1750年(寛延3年)に第1期工事が完成し、最終的に開通したのは1763年(宝暦13年)。諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれる。1750年(寛延3年)の第1期工事の完成後には、通行人から人4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路ともいわれている。1854年(安政元年)から1856年(安政3年)にかけて制作された歌川広重の『六十余州名所図会』には、「豊前 羅漢寺 下道」と題し、この洞門が豊前国の名所として描かれている。青の洞門のある競秀峰は中津市出身の福沢諭吉が、景観を守るために土地を買い取ったことでも知られる。地元住民は「福沢諭吉が土地を買わなかったら青の洞門は残っていなかったかもしれない」と語る。1906年(明治39年)から1907年(明治40年)にかけて陸軍日出生台演習場への輸送路整備のために大改修が行われ、車両が通過できるよう拡幅された。この工事の結果、完成当初の原型はかなり失われたが、明かり採り窓等の一部に手掘りのノミの跡が残っている。

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