この道路上にたくさん置かれた玉、何ですか?みたいな。

DoraNeko

橘通りと高千穂通りの交差点付近でバスを降りて、高千穂通りを宮崎駅方向に歩いております。元来この周辺が駅前よりも、宮崎市の目抜きの地域で百貨店の山形屋なんぞもございますですな。やがて気になりだしたのが、この路上というか歩道と車道の境目あたりに点々と配置されている玉状の物体です。フツーに考えりゃ車止めですが。一定間隔で配置されているように見受けられるのですが車止めなら間隔的に役目をはたしてなさそうです。アミュプラザの付近にもございますので、もしかしたら高千穂通りの名前に何かしら関係があるのかもしれませんね。マガタマとか?いや、それは玉状じゃないじゃん。謎です、はい。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    高千穂通り(たかちほどおり)は、宮崎県宮崎市の宮崎駅交差点より宮崎大橋東詰に至る区間の道路の通称。宮崎市の中心市街地の東西軸をなす。名称は、この通りの延長上に高千穂峰が見通せたことによる。結果的に、方向を示す目安となるよう山に向けて街路を配置した「山あて」と同様の効果を持っていたことがわかる。高千穂町や延岡市の高千穂通りとは無関係である。道路の構造や沿道の機能から、橘通りを境に宮崎県道25号の区間と国道10号の区間に大別できる。宮崎県道25号の区間は、1913年宮崎県営鉄道(現・日豊本線)の開業と時期をほぼ同じくして開通した。宮崎駅と繁華街を結ぶ市の玄関口である。本線4車線と植栽を挟んで両サイドの緩速車線2車線の幅員構成であったが、1997年にはシンボルロード整備事業により幅員構成は大きく変化し非常に広幅な歩道が整備された。この区間は主にオフィス街である。国道10号の区間は、戦後に整備された比較的新しい街路である。橘通り付近を除き、中小の商店やホテル・マンションが中心となる。1957年宮崎大橋の開通により、高松通り・高松橋に代わり市西部と市街地を結ぶメインルートになるとともに、国道10号は橘橋を南下して現在の宮崎県道17号南俣宮崎線に回るルートから、現行の高千穂通りを経て西の原交差点に至るルートとなった。町名として高千穂通が誕生したのは1927年である。1966年には住居表示の実施により現行の高千穂通一丁目・二丁目が設定され旧高千穂通一丁目・二丁目が消滅、その後も次々と住居表示が行われ、1974年に旧高千穂通はすべて消滅した。なお、旧高千穂通の各町域はいずれも住居表示実施後の同一町名に継承されていない。

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