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words=’もはや観光地のモニュメントみたいになっております旧名鉄美濃駅舎、そして保存されているモ510形512号、モ600形601号、モ590形593号、更にはモ870形876号のカットボディっすわ。こやつは元札幌市電なんですが、現在塗り替え更新作業中でございました。幼少のみぎりには、田上線が新規開通して、ここから新岐阜駅まで直通運転したり、急行が走ったりといった話題があって、いつかは乗りたいな~と思ったものでしたよ、結局叶いませんでしたが。路面電車が今も現存活躍しているところは、車との共存を図る施策を進めて街が活性化し発展した経緯がありますが、それを企図しなかった街は結果的に衰退しましたものね~。惜しいですわ。ワタクシ訪れた折には近在のご家族が子供連れで来ておられ、撮影に勤しんでおられましたですよ。ご当地出身の野口五郎氏のポスターや代表曲「私鉄沿線」の歌碑などがあるんですな~。ここの管理もボランティア団体の手によるのでございますか。頑張っておられますな~。 ‘
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    美濃駅(みのえき)は、岐阜県美濃市広岡町にあった名鉄美濃町線の駅である。美濃町線新関駅 – 当駅間の部分廃止により、1999年(平成11年)4月1日に廃駅となった。比較的早期に廃止が決定されたためか、駅名には最後までCIロゴが入らなかった。同線の廃止後、2005年(平成17年)4月1日の美濃町線全廃までは新関駅 – 関駅間に長良川鉄道越美南線への連絡を図るための路線が設けられ、関駅 – 美濃市駅間においては越美南線を代替交通機関とさせていた。長良川の中流域に位置する上有知(こうずち)町は河川舟運の要衝であり、岐阜市街地と当地を結ぶ鉄道は1894年(明治27年)ころより計画されていた。実際に鉄道路線が開通したのは明治末期の1911年(明治44年)で、美濃電気軌道の手により敷設された。この路線こそが美濃町線の前身であり、その終着駅として上有知こうずち町に開業したのが当駅である。開業時は上有知駅(こうずちえき)と称したが、開業後まもなく上有知こうずち町が美濃町に改称したため、これに呼応して美濃町駅(みのまちえき)と改称している。また、駅は現在の美濃市広岡町交差点付近に置かれていたが、これも開業後すぐに路線が町の中心へと0.3キロメートル伸ばされたため、それに合わせて移転をしている。その後1923年(大正12年)には当地に国鉄越美南線(現在の長良川鉄道越美南線)が進出。同線に美濃町駅(現在の美濃市駅)が開業すると、当駅は国鉄との連絡を企図してさらに移転、駅名も新美濃町駅(しんみのまちえき)に改めた。駅名が美濃駅になるのは1954年(昭和29年)のことで、同年に美濃町が合併し美濃市が誕生したことをうけての改称であった。1970年(昭和45年)には岐阜市内で田神線が開通、当駅からも同線を経由して新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)まで直通列車が運転されるようになったが、定時運行に難があったため乗客がバスや自動車利用に移行してしまう。押し寄せるモータリゼーションの波には逆らえず、路線の末端で閑散区間であった美濃町線の新関駅から当駅までの区間は他の区間に先立ち1999年(平成11年)に廃止され、当駅も廃駅となった。

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