千屋牛は、岡山県新見市千屋地区で育てられている黒毛和種ブランド牛。

記事中の画像は、クリックすると拡大して、スライドショーでご覧いただけちゃいます。


国道180号線を石蟹から新見方面に向かい走行しますと、差し掛かった高梁川に架る美郷大橋、その欄干柱にずんぐりむっくりとした牛が居ましたのでございます。千屋牛のモニュメントでございますな~。パッと見たところ四方にある欄干柱のうち、上流側の手前側一ヶ所のみに置かれているようでございますね。千屋ダムには千屋牛のブロンズ像がある、と聞いたことはありましたが、このように国道沿いにあるのは知りませんでした。

当分の間、リアルタイムではございませんで、過去に訪れた際の写真を基にした記事が続きます。新型コロナ、緊急事態宣言が出されたことに伴い、不要不急の外出を避けるよう要請されている地域が増えましたのでワタクシも一人旅に関しては一時自粛させて頂きます。ライフワークでありますので忸怩たる思いがございますが昨今の状況を踏まえれば仕方ないことでございます。過去に撮り溜めていた画像がまだ多く手元にあるので、暫くはそれを使用して記事の更新は続けて参るつもりです。

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  1. by DoraNeko

    Wikipediaから引用
    千屋牛(ちやうし、ちやぎゅう)は、岡山県新見市千屋地区で育てられている黒毛和種、およびその精肉(ブランド牛)である。千屋牛は小規模生産のため出荷頭数も少ない。千屋ダムには、碁盤に乗る千屋牛のブロンズがあるが、これは地元の伝統芸能「千屋牛の碁盤乗り」である。千屋牛は訓練次第でこういった芸能もこなす。千屋の古い民家の多くでは、家の中に牛舎がある造りになっている(現在は、防疫上の理由等により牛舎は別棟になっている)。「牛も家族であり、家族なら一緒に寝起きするのは当然」との考え方が伺える。千屋牛の定義は千屋牛振興会で定める生産出荷基準のもとで生産・肥育された黒毛和種であり、生産出荷基準は「 新見市内で繁殖・肥育一貫生産されたもの。又は岡山県下で生産された子牛を導入し、新見市内で約 18 カ月間以上肥育されたもの」である。千屋牛は「日本最古の蔓牛」と言われており、羽部義孝博士(全国和牛登録協会初代会長)は自身の著書『蔓の造成とつる牛』の中で、千屋牛の祖先にあたる“竹の谷蔓は、その(つる牛の)なかでも最古のものといわれている”と語っている。主に中国山地周辺で品種改良された日本の牛で、特性が固定化され優良な形質を持ち、その遺伝力が強い牛の系統を蔓(つる)、その牛を蔓牛(つるうし)と呼ぶ。和牛は古くから近畿、中国地方において飼われており、農耕,運搬,採肥のために家畜として使役されていた。中でも中国山脈山間地では近世のころから優良形質の維持、改良、固定に努力が払われ、その中でとくに優良な系統を蔓といい、その個体を蔓牛と称した。蔓牛は他の牛に比べて2~3割高く売買されたと伝えられる。千屋牛は、江戸時代に備中国阿賀郡実村(現・新見市千屋)で盛んであった鉄山業で労役牛として使われていた。千屋地区は冷涼で降雨量が比較的多く、牛の飼育に適している土地であった為、古くから牛の生産が盛んであった。千屋牛は元来小型で少産の牛であったが、千屋村の豪農太田辰五郎(1802~1855:岡山県立図書館デジタル大百科では1790-1854)らにより、但馬産の優れた種牡牛を導入するなど、当時としては革新的な改良技術が行われ品種改良されていった。そして、太田辰五郎は1834年(天保5年)に千屋牛馬市を開設し管内で生産された優れた牛の販売を始めた。現在でも、肉用牛生産は、地域の重要な産業である。

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