石狩月形駅は、樺戸郡月形町にあった、JR北海道札沼線の駅(廃駅)。










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words=’札沼線の廃止区間では唯一の交換可能駅で、かつ貨物の取り扱いがあった名残から広い構内を持つ駅なのでした。ここで折り返す区間列車も存在していたのですな。ちゃんとした駅舎を備える駅だったのでございますが、現状では旧駅舎はバス待合所として利用されているのでございますか。地元有志により駅舎やレールを保存し、札沼線記念館とする試みと、トロッコとして整備する計画があるようですが、月形町は駅舎やホームを撤去して住宅と公園を整備する、としているとのことですな。拙者はトロッコや鉄道公園として整備して観光資源化して欲しいな、と思うんですが、それにも資金が必要ですもんね。どうなりますやら。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    石狩月形駅(いしかりつきがたえき)は、北海道樺戸郡月形町字月形にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅(廃駅)である。札沼線の区間廃止に伴い2020年(令和2年)5月7日に廃駅となった。月形町の中心駅であった。当初から交換駅として設置され、石狩当別駅 – 当駅間の区間列車も設定されていた。札沼線の非電化区間では唯一の交換可能駅であると同時に、石狩当別駅方面からの列車は当駅が最後の交換駅となっており、当駅から終点の新十津川駅までは1閉塞であるため、1列車しか入れなかった。駅の所在する地名に旧国名の石狩を冠する。地名は樺戸集治監初代典獄(所長)の月形潔の姓に由来し、旧国名を冠したのは開業時すでに同音の駅(月潟駅)が存在していたためである。島式ホーム1面2線を有していた地上駅。1976年時点では、ホームの駅舎側にさらに貨物積卸線が1本敷かれており、そこから駅表の札幌側にある土場へ斜めに1線引込まれていた。貨物の取扱が廃止されてからは、かつての積卸線が保線車用側線として残されていた。新十津川方がスタフ閉塞式であり、運転取り扱い業務のため、終日社員配置駅となっていた(石狩当別駅管理だった)。新十津川方へは、当駅で運転士がスタフを受け取らないと、列車が進めない形式がとられていた。出札窓口もあった。JR北海道の社員配置駅・業務委託駅で唯一みどりの窓口がなかった。改札業務はしなかった(集札は車内で行っていた)。2019年11月現在、発売している切符は数種類の常備券のみで、これ以外の切符は補充券を含め発売していなかった。駅員は、石狩当別駅の駅員が交代で当駅で業務を行う形となっていた。2020年5月7日の北海道医療大学駅 – 新十津川駅間の廃止にあたって、同日未明にホームに設置されていた駅名標が撤去された。月形町が2020年(令和2年)5月の同線廃止に伴い建設を計画している、バスターミナルを中心とした地域拠点施設の建設地候補に、同駅跡を活用する案があったが、同町月形小学校グラウンドに建設することとなり、同駅跡の活用は見送られた。廃線後、当面の間はバス待合所として利用されている。また2021年度(令和3年度)に、駅構内を通り抜けることができるよう町道の整備を行う予定。2020年(令和2年)5月の同駅廃駅後、地元有志により駅舎やレールを保存し、札沼線記念館とする試みがある。また、同駅から札比内駅までの7.2kmの区間を、地元有志によりトロッコとして整備する計画がある。しかし、月形町が2021年(令和3年)2月に示した方針では、駅舎周辺に公営住宅、公園、散策路などを整備し、駅舎やホームを撤去する方針としている。

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