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words=’名寄本線と名寄本線湧別支線、湧網線の駅だった中湧別駅跡でございます。湧網線は1987年(昭和62年)に廃止、名寄本線と湧別支線は1989年(平成元年)に廃止されてしまいました。2面3線のいわゆる国鉄型配線の駅でございます。また中湧別保線区もあり、広大な敷地を持つ駅でございましたのですな。旧構内は上湧別百年記念公園中湧別駅記念館、道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯、湧別町文化センターTOMがそれぞれ整備されております。ユニークな百年記念塔も建てられておりますね。残されたホーム、線路に除雪車1両、ヨ3500形車掌車4両が保存展示されております。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    中湧別駅(なかゆうべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字中湧別中町(現・湧別町中湧別中町)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅(廃駅)である。名寄本線と湧網線が接続する交通の要衝であったが、湧網線(1987年(昭和62年)3月20日)、続いて名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「天都」の停車駅であった。廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム北側と島式ホーム南側を結んだ跨線橋で連絡した。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が上下共用の1番線、島式ホーム駅舎側が名寄本線下りの2番線、外側が湧網線発着用の上下共用の3番線となっていた。また島式ホーム北側は切欠きとなっていたが側線扱いとなっていた。3番線の外側に多数の側線を有し、そのほか1番線の名寄方から分岐し駅舎北側の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた。名寄本線湧別支線と湧網線の合流地点にはシーサス・クロッシングが設置されていた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の北側に位置し単式ホームから少し離れた場所に存在していた。コンクリート製の駅舎であった。旧駅構内は1993年(平成5年)4月1日から上湧別町(当時)により「中湧別鉄道資料館」として整備され、さらに資料館を包含する形で「道の駅中湧別」として整備された。その後道の駅は「道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯」としてリニューアルされ、鉄道資料館は「上湧別百年記念公園 中湧別駅記念館」となった。また「湧別町文化センターTOM」が開設された。駅舎は撤去されたが、開業当時からの木造跨線橋及びレールとホームが保存・展示されている。車輌は旧1番線と旧2番線上に横付けする形で除雪用モーターカー(番号無し。形状からTMC200CSと思われる)1両と、ヨ3500形車掌車ヨ 4407、ヨ 4421、ヨ 4430、ヨ 4433の4両が静態保存・展示されている。車掌車内にはダイヤグラム、ダルマストーブなどの古い備品類、また「文化センターTOM」内にも駅名標や制服、改札鋏などの名寄本線関連の備品などが保存・展示されている。ホームの湧別方には腕木式信号機が設置保存され、遠軽方には「国有鉄道 中湧別保線区之碑」という石碑が建立されている。

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