通りすがりの湧別町役場上湧別庁舎にあった、和と輪なる像でございます。




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words=’中湧別から遠軽に向かう途中の通りすがりに、ふと目に留まったので通り過ぎたのをわざわざUターンして見に来ましたるは湧別町役場上湧別庁舎にあった、和と輪なる像でございます。鉄道駅にある像以外でわざわざ引き返してまで見たいと思うことはほぼないのですが、それはシルエットで残った残像に違和感を覚えたからなのでございました。タイトルは和と輪でございます。両手で輪を作っている女性裸像でございます。ゴムゴムの実でも食べたのでしょうか、関節がない輪の作り方している女性像でございます。あの人気だった某局の某番組の、ともだちの輪っよりも見事な輪でございます。ん?別にオイラが女性のハダカに異様に興味があるっつうことじゃないですぜ、そこのダンナ。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    湧別町(ゆうべつちょう)は、オホーツク総合振興局管内中部、オホーツク海沿岸に位置する町。地名はアイヌ語でチョウザメを意味する 「ユペ」か、「ユーペツ」(温泉の川)に由来するとされる。オホーツク海に面し、湧別川河口に位置する。町東部にはサロマ湖がある。湧別町は、1661年(寛文元年)に全島を巡行した吉田作兵衛が作成した地図「元禄御国絵図」は現存していないが、元禄御国絵図の模写といわれるものにオホーツク沿岸の地形から不正確とはいえ「ユウベチ」と地名が記されており、この地図と同時に報告された「松前島郷帳」には、北見沿岸は西蝦夷地に含まれ、ゆうべち、のとろ(紋別弁天岬)、志よこつ、おこつぺ、ほろ内、つうへち(頓別)、そうや間の7部落が「ゆうべち」の内と記されていて、アイヌ民族の生活圏であった時代に、ユウベチ地区が北見沿岸を代表する主要地であったことを物語っている。松浦武四郎は、紀行文「由宇辺都誌(ゆうべつし)」に記している。屯田兵の入植した地であり、現在も北兵村、南兵村の地名が町内に残る。基幹産業は漁業、酪農、農業など。日本最北のリンゴの産地である。町内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR北海道石北本線遠軽駅。かつては名寄本線、湧網線、湧別軌道が通っていたが、いずれも現在は廃止されている。湧網線代替バスで網走バスが乗り入れていたが、現在は路線廃止されている。

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