北天下茶屋から聖天坂停留場に向かう途中の、聖天下の文化住宅。




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words=’大阪市西成区にある北天下茶屋停留場の周辺は古くからある住宅街で、昭和30年代にタイムスリップしたかのような懐かしい雰囲気が残る地域でございます。如何にも昭和時代って雰囲気が特徴的でございます。文化住宅って言葉も、高度経済成長期に使われ始めた用語で、瓦葺きの木造モルタル2階建てのアパートを指す、昭和時代の産物でございましょう。で、北天下茶屋停留場から聖天坂停留場に向かってあるいていたこちら、壁に文化住宅と書かれた文化住宅でございます。タイポグラフィーっていうかロゴや書体が秀逸ですな~。各戸の入り口の戸別表示もシャレオツでございます。これって外装をリノベした物件なんですかね、それだけでもこんなにオサレ感が増すんですな~、と一頻り感心したのでございます。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    文化住宅(ぶんかじゅうたく)と呼ばれるものには以下の二つがある。1.主に大正時代中期以降に流行した、洋風生活を取り入れた一般向け住宅のこと。和洋折衷住宅である。2.近畿地方で、主に1950年代 – 1960年代に建てられた集合住宅の一種。近畿地方の集合住宅としての文化住宅-近畿地方における集合住宅の呼称。分家住宅とも書いたりする。1950年 – 60年代の高度経済成長期に使われ始めた用語で、主として当時に建てられた瓦葺きの木造モルタル2階建てで、1 – 2階の繋がったメゾネット、あるいは各階に長屋状に住戸が並んだ風呂なしアパートを指す。実際には、各戸に独立した玄関があり、トイレも台所も風呂もついている 連棟式集合住宅(例えば1棟4戸など)が多い。「文化」(「ん」にアクセント)と略称されることもある。この種の住宅が「文化住宅」と呼ばれたのは、それまでの長屋や下宿屋など集合住宅の多くが便所や台所を共用としていたのに対し、これらの設備を各住戸に独立して配置したことから、従来の集合住宅よりも「文化的」という理由である。こちらの「文化住宅」の起源ははっきりしない。近畿にも戦前の「洋風住宅としての文化住宅」は阪神間など大正から昭和初期に開発された地域に多数存在するが、言葉としての「文化住宅」は一般に普及せず、もっぱらこちらの意味が広まった。近年は老朽化が進み、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では多くの「文化住宅」が倒壊し、住人の多くが犠牲になった。これらが密集した地区の再開発が老朽化に伴うリノベーションとも絡んで課題となっている。

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