北畠停留場は、大阪市阿倍野区にある、阪堺電気軌道上町線の停留場。




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words=’阪堺電気軌道上町線の北畠停留場でございます。熊野街道上に敷設された併用軌道区間にある、千鳥状に配置された相対式2面2線の停留場となっております。道路の中心ではなくサイドリザベーション気味に片方に寄った併用軌道区間となっております。基本的に閑静な住宅街の表通りを走る電車と言う光景でございます。趣がございますね。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    北畠停留場(きたばたけていりゅうじょう)は、大阪府大阪市阿倍野区北畠1丁目7番地先(住吉公園・我孫子道方面)もしくは北畠2丁目3番地先、(天王寺駅前方面)のもと熊野街道路上にある阪堺電気軌道上町線の停留場。この停留場の北方200m程の地点より帝塚山四丁目停留場直前まで、上町線はもと熊野街道上の併用軌道となっているが、この区間は交通量が少なくかつ車道部分が狭隘なため速度も30km/hに制限されており、中心市街地を走ることの多い他の路面電車ではあまり見られない独特の趣となっている。また、ここから帝塚山三丁目停留場付近までが、いわゆる北畠・帝塚山界隈である。道路上にのりば(安全地帯)が、上下線斜向かい(我孫子道停留場方面が北東、天王寺駅前駅方面が南西)に配されている。丁字路が二つ連続しているために上下ののりばは離れている。かつては天王寺駅前方面ののりば付近に古風な待合所が設置されていたが、現在は簡易な上屋と椅子に更新された上で若干面積が縮小された。朝ラッシュ時に限り、係員が配置されている。当地に古くからある「大名塚」と呼ばれていた塚を、江戸時代の地理学者・並河誠所が、1338年(延元3年)の阿倍野合戦で戦死したとされる北畠顕家の墳墓と比定したことから本格的な墓所として整備され、その後当地を北畠と称するようになったという。顕家と伝えられる墓は北畠公園(阿倍野区王子町3丁目8番地)内にある。

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