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DoraNeko

居酒屋等に目のないほど頻繁に訪れる機会のあるワタクシですが、所謂「立ち飲み」というジャンルには、これまでは全く縁がないのでございます。嫌いな訳では勿論ございません。入店すると常連さんばっかりの中に場違いに飛び込むみたいな、気遅れた感じがするもので、シャイなワタクシ(←ん?)は二の足を踏むのでございます。
岡山駅にほど近い場所にある「立ち呑みひろし」でございますが、入店経験はいまだにございません。それにしてもですよ、この店名は舘ひろしをモチーフにしていることはイラストからも明らかでございます通り、ワタクシの好物そのものなんですが、シャイなもので(←まだ言うかw)入店する勇気がないまま早くも10年経過、ですわw

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    立ち飲み(たちのみ)とは、主に立ったまま酒などを飲む行為、またはその形態の店舗をいい、一般的には、酒を立って飲むこと全般をさす。酒屋の店頭で小銭を支払い、その場で立ったまま酒を飲む行為は、日本では江戸時代から一般的に行われていた。太平洋戦争時の1943年(昭和18年)に酒類が配給制になると国民酒場・市民酒場という新形態が現れた。 これら営業を許された店では開店2 – 3時間前から行列が見られるようになったため、東京都では同年10月から営業が許された店で順番票(整理券)交付制を導入した上、滞留時間を短くするために椅子を用いないよう指導した。 結果的に配給を受ける大きな酒場が立ち飲み化し、既存の中・小の立ち飲みは一時勢いを失った。しかし戦後、闇市などで一部非合法に復活。1949年(昭和24年)の酒類販売自由化によって立ち飲み屋は合法的に再開した。その後、立ち飲みは1960年代にピークを迎え、高度成長期になると廃れた。近年、開業資金のかからない飲料店の開業、昭和へのレトロ趣味、アンテナショップをかねた資本のある企業でさえ行う営業戦略的な新規開業、また、長引く不況の中でも安価に利用できる飲食店として、利用者数や店舗数が増加している。代表的な立ち飲みの店は、酒の小売店としての酒屋に併設された立ち飲みスペース、角打ちのことをいうこともある。酒とおつまみ(乾き物や缶詰、フライ)などを購入し、店の一角やレジカウンターの隅で、そのまま店で買った酒やつまみを飲食する。飲食店ではないので、店側は基本的に最低限のサービスしかしないのが基本であり、椅子を出すスペースもないため、立ち飲みとなる。なお、客が店内のビールケースやビア樽などを持ってきて、古雑誌を座布団がわりにして座ることが許される店舗もある。かつての酒屋併設型の立ち飲み屋は酒屋の入口とは別に設けられた。これは、料理や酒を同一店内で提供しないことで、許認可が必要となる飲食店の形態を採らないための工夫である。主に大都市のドヤ街や繁華街、公営競技場周辺などにみられ、顧客は日雇いの肉体労働者が多かった。このような立ち飲み屋は1960年代にピークを迎え、単純肉体労働者の激減と嗜好変化により減少の一途をたどった。酒屋で立ち飲みすることを「四角い升の角に口をつけて飲むこと」から「角打ち(かくうち)」と呼ぶことがある。上記のような背景から、角打ちは工場・炭鉱・港湾が多かった北九州地域に多く、角打ちという言葉の発祥地であるという説もある。東北地方では「もっきり」、鳥取県から島根県の東部にかけては「たちきゅう」と呼ばれている。「立ったまま、きゅうっとやる」ことが語源といわれる。
    その数は「昨今めっきり減った」とされているが、発祥の地とされている北九州市では、その文化が今でも脈々と続いており、角打ちができる酒屋が150軒近く残っている(2018年〈平成30年〉現在)。一方で、恵比寿界隈などでは女性が一人で入れるお洒落な店構え、多国籍な客で賑わう空間など、従来の角打ちとはイメージが変わった新しいタイプの立ち飲み屋が人気である。

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