宝殿駅前にある、尉と姥のいわれと像。

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words=’高砂や~♪の高砂市です。結婚披露宴の定番の一つ?正直申し上げまして、難しくて解りませんわ拙者にゃ。縁がないのでね。結婚は複数回したんですけどね。人並み以上にしたんですけどね、人並み異常になったんでね。尉と姥のいわれ、と言われても何ともいわれへん(←それはダジャレか?)のですわ。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    『高砂』(たかさご)は、能の作品の一つ。相生の松(あいおいのまつ、兵庫県高砂市・高砂神社)によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能である。古くは『相生』(あいおい)、『相生松』(あいおいまつ)と呼ばれた。ワキ、ワキヅレがアイとの問答の後、上ゲ歌で謡う『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり』は結婚披露宴の定番の一つである。江戸時代、徳川将軍家では『老松』とともに『松』をテーマにした筆頭祝言曲二曲の一つであった。九州阿蘇宮の神官(ワキ)が播磨国、高砂の浦にやってきた。春風駘蕩とする浦には松が美しい。遠く鐘の音も聞こえる。そこに老夫婦(シテとツレ)が来て、木陰を掃き清める。老人は古今和歌集の仮名序を引用して、高砂の松と住吉の松とは相生の松、離れていても夫婦であるとの伝説を説き、松の永遠、夫婦相老(相生にかけている)の仲睦まじさを述べる。命あるものは全て、いや自然の全ては和歌の道に心を寄せるという。ここで老夫婦は自分達は高砂・住吉の松の精であることを打ち明け、小舟に乗り追風をはらんで消えて行く。神官もまた満潮に乗って舟を出し(ここで『高砂や…』となる)、松の精を追って住吉に辿り着く。『われ見ても 久しくなりぬ住吉の、岸の姫松いく代経ぬらん』(伊勢物語)の歌に返して、なんと住吉明神の御本体が影向(ようごう)され、美しい月光の下、颯爽と神舞を舞う。現在の高砂市内にある高砂神社の社伝によれば、ひとつの根から雌雄の幹の立ち上がる「相生の松」が境内に生い出でたのは神社開創から間もない頃のことであったが、ある日ここに二神が現われ、「我神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さん」と告げたところから、相生の霊松および尉(じょう)・姥(うば)の伝承が始まったとする。千歳の松、長寿、遠く隔たっていても睦まじい夫婦といった『高砂』に含まれる要素、また「相生」が「相老い」にも通じることなどから、『高砂』はいつしか夫婦和合・偕老長寿の象徴とも受け取られるようになった。 尉(じょう)・姥(うば)のモチーフは「高砂人形」と呼ばれる人形となり結納品のひとつとされたほか、一般におめでたい図柄として大衆化し、さまざまに使われている。 「高砂や」に始まる謡は婚礼における祝言歌の定番となり、長い間歌い継がれてきた。また、俗謡に「おまえ百までわしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」と謡うものがあり、これも『高砂』の尉・姥に結びつけて考えられている。俗説として、「百」は「掃く」、すなわち姥の箒を意味し、「九十九まで」は尉の「熊手」を表すのだという。

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