伏見桃山駅は、京都府京都市伏見区京町3丁目にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。

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伏見で駆け足っ。伏見桃山駅から大手筋通って酒蔵周辺、中書島まで早足で散策。

ふ~、息が切れるわい。今度はもっとゆっくりと散策しようっと。

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コメント一覧 (1件)

  • NPO法人伏見観光協会
    京都市の南部に位置するまち・伏見区は遠く奈良時代から街道が整備され、水運も発達した要衝の地として栄えてきました。古代、深草あたりは深草遺跡で知られるように農耕が営まれて、この地は京都盆地を開発した渡来人・秦氏の拠点でもありました。平安時代には、鳥羽上皇の「鳥羽離宮」や橘俊綱の「伏見山荘」に代表される貴族の別荘の地、景勝の地として伏見の名は知られていきました。醍醐寺の五重塔や日野法界寺の阿弥陀堂は平安時代の優雅な文化の面影を伝えている京都市内唯一の文化財です。近世には、豊臣秀吉が伏見城を築き、絢爛豪華と言われる「桃山文化」を開花させました。ついで徳川家康はこの地で幕府を開き、日本で最初に銀座を設置、高瀬川を開いて、京・伏見・大阪を一本の水路で結び、伏見港を日本最大の河川港としました。江戸時代の淀は、十万二千石の城下町として、朝鮮通信使やオランダ商館長をあたたかく迎え接待をしました。近代日本の夜明けの戦いの舞台は、鳥羽・伏見・納所・横大路・竹田でした。ぶらりと歩けば、いたるところに史跡がある伏見は、京の都と深くかかわりながら、独自の文化と歴史を形成してきた実に魅力的なまちなのです。

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