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京都で生まれ育ちましたが、十代後半以降は上京し東京(含む関東)で暮らしたワタクシ、京都を離れる直前の期間、1年くらいだったのかと思いますが、生家の京都市中京区から大阪府守口市大宮通まで通っていたのでございます。阪急西院駅から河原町駅(現:京都河原町駅)徒歩で鴨川を渡り、京阪の四条駅(現:祇園四条駅)、当時まだ地上時代の当駅から急行に乗車し、七条・伏見稲荷・丹波橋・中書島・八幡市(現:石清水八幡宮)・枚方市・香里園、ここで各駅停車に乗り換え、寝屋川市・萱島・大和田・古川橋、と通過して門真駅まで。そこから徒歩で守口市大宮通まで、というルートでございます。ラッシュ時間帯のこの長距離ってのは結構苦痛でしたな~。この時の門真駅って、既にございません。高架化と複々線化される折に200mほど大阪方面寄りに西三荘駅として生まれ変わり、京都寄りには新門真駅と称した現:門真市駅ができています。上記の通っていた期間というのはこの新門真駅が出来た頃にまたがっているんですね。その期間の途中で新門真駅が開業したのを覚えています。門真駅からの徒歩ルートの駅前近辺は当時結構な盛り場の様相を呈していたかの記憶が残っていますが、今や見る影もないようですな~。今でもここらのレコード店から聞こえていた曲・・・ヘドバとダビデの「ナオミの夢」、ジョージハリスンの「美しき人生What Is Life」、ジョンレノンの「マザー」、なんかがこの当時の風景とともに浮かんできます。当時色々あって挫折感とか様々な不安感とかに苛まれていた時期だったので余計に鮮明に記憶に残っていたりするんです。生まれ育った土地から見知らぬ土地に単身で引っ越すことになる転機の時代でございました。写真のカーブを描く線路の下に、旧門真駅があったんですが、こうして見ると感慨深いものが込上げます。
守口駅(現・守口市駅) – 寝屋川信号所間の連続立体交差化と複々線化工事が1972年11月28日に着工され、同工事に伴い新設された駅である。当駅が開設されるまで、当駅の京都寄り約200m(門真元町郵便局の南西あたり)に旧「門真駅」があった。当駅は新駅の扱いである。この新駅の名称案には、当初「西門真駅」と「東守口駅」(仮称は「松下前駅」としているものもある)の2つがあったが、結局はどちらも採用されず、駅下を流れる西三荘川(現在は暗渠)を駅名に採用した。正式な開業は1975年3月23日であるが、1974年10月の下り線(大阪行き)高架化により「門真駅」として先行開業、上り線(京都行き)が複線高架化された際(現在の大阪行きA線を使用)に「西三荘駅」と改められた。その後も複々線化工事の進展に合わせ、1976年5月に現在の京都行きホームの使用を開始(この時は京都行・大阪行とも外側線のみを使用)、最後に京都行き仮ホームを撤去して、同年9月のダイヤ改正にあわせて複々線の使用を開始した。複々線高架化工事完成後、高架下に商業スペース「エル西三荘」がオープン。そのほか駐輪場の設置、8連に対応するためのホーム延長工事、冷房待合室の設置がなされている。
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