旧屋島ケーブル屋島登山口駅跡、もはや残骸化しておりました。

DoraNeko

2004年10月に運行休止し、2005年8月に正式に廃止された屋島ケーブルでございます。ワタクシ2011年からのち琴電屋島駅にはしょっちゅう訪れていました時期がございますが、坂を登れば徒歩でも10分ちょっとで来れるここを訪れることがございませんでした。こういう形で撤去されずに残されたままになっていることを最近まで知らなかったのでございます。形が残されているのならば見てみたいと思うのがケーブルカー大好き人間でございます。で、見に来た次第でございますが、新しく建てられた公民館的な地元集会所の建物の裏に荒れ果てた姿で放置に近い状態で現存しておりましたですよ。哀れですな~。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    屋島ケーブル(やしまケーブル)は、かつて香川県高松市にあった屋島登山口駅から屋島山上駅に至る屋島登山鉄道のケーブルカー路線である。屋島ケーブルと呼ばれていたが正式な路線名はない。観光地の「屋島」山上へ登るケーブルカーで、四国第八十四番霊場の屋島寺や景勝地の獅子の霊巌への足となっていた。屋島ドライブウェイが開通する1961年(昭和36年)までは、唯一の動力登山手段であった。上下同時発車で毎時15分・35分・55分の20分間隔で運行されていた。所要時間は5分。シーズン中(3月21-5月15日、7月25日-10月10日)の営業時間は平日が8:15から18:15、休日(土・日・祝)が7:35から18:55発車分まで。それ以外のオフシーズンは終日8:55から17:35発車分まで。1950年(昭和25年)の営業再開にあわせて日立製作所で製造された1・2の2両を保有しており、1に「義経号」、2に「辨慶号」の愛称が付けられていた。車体は白地に赤帯の塗装であった。1926年の計画ではケーブルカーと地上部(平坦線)を予定していたが、実現したのはケーブルカーのみであった。2004年(平成16年)10月12日、ケーブルの運営会社である屋島登山鉄道は高松地裁に自己破産を申請した。負債総額は約9億円。直接的な原因は屋島観光の衰退に伴う利用客の減少で収支が悪化し、資金繰りが困難になったことであった。しかし、その背景にはかつて同社は高松琴平電気鉄道(ことでん)の子会社であったが、ことでん本体が2001年(平成13年)末に民事再生法の適用を申請したため、以降同社はグループの支援を受けられず完全な単独経営を余儀なくされたことがあった(詳細は「屋島登山鉄道」を参照)。運営会社の経営破綻と同時にケーブル事業も2004年10月16日から休止する旨を四国運輸局に届け出た。2005年(平成17年)7月1日には「鉄道事業の廃止届出」を行い、その中で事業廃止日を1年後の2006年(平成18年)7月1日とした。しかし、廃止届出から約1か月半後の2005年8月22日には「事業廃止の日の繰上の届出」をし、当初予定していた廃止日を一年近く繰り上げることを決定。その届出通り同年8月31日に廃止された。運行最終日となった2004年10月15日には、約800人の観光客が詰めかけたが、運行前の試運転時に電気系統にトラブルが発生。両車両ともに駅から約50mの位置に停止したまま動かなくなり、結局、終日事故運休となった。

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