円長寺駅跡付近の公園に保存されている別府鉄道キハ2号。

記事中の画像は、クリックすると拡大して、スライドショーでご覧いただけちゃいます。




1984年(昭和59年)に廃線になった別府鉄道野口線を走っていたキハ2号が廃線跡の遊歩道沿いにある円長寺駅跡付近の公園に保存されておりました。それをネットで見かけたものでグーグルマップを頼りに来て見たんですが、狭隘な道なので苦労しましたですわ。我ながら物好きでございます。荒廃が著しい、と記載がありまして心配でしたが、ボランティアの方々の手に寄るのでしょうか、近年に塗り直して修復されているんですかね。

当分の間、リアルタイムではございませんで、過去に訪れた際の写真を基にした記事が続きます。新型コロナ、緊急事態宣言が出されたことに伴い、不要不急の外出を避けるよう要請されている地域が増えましたのでワタクシも一人旅に関しては一時自粛させて頂きます。ライフワークでありますので忸怩たる思いがございますが昨今の状況を踏まえれば仕方ないことでございます。過去に撮り溜めていた画像がまだ多く手元にあるので、暫くはそれを使用して記事の更新は続けて参るつもりです。

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  1. by DoraNeko

    Wikipediaから引用
    野口線(のぐちせん)は、かつて兵庫県加古川市の野口駅から同市内の別府港駅を結んでいた別府鉄道の鉄道路線である。1984年(昭和59年)2月1日に廃線となった。別府港にある多木製肥所(現在の多木化学)で製造された化学肥料などを運ぶために1921年(大正10年)に開業した。1923年(大正12年)に鉄道省(後の日本国有鉄道)山陽本線と接続する土山線が開業すると貨物輸送の主体はそちらに移り、旅客営業主体の路線となった。開業当時は全列車が播州鉄道(後の播丹鉄道)に直通し加古川駅に乗り入れていた。1日4往復であったという。土山線の開業で貨物は減少し、旅客主体の路線となった。1943年(昭和18年)の播丹鉄道が買収国有化されたことにより乗り入れは中止された。戦後に路線が復活した際には、野口駅に渡り線が設置されなかったため貨物列車は設定されず、すべて内燃動車(気動車)による旅客列車であった。キハ2-1931年(昭和6年)に三岐鉄道のキハ5として日本車輌製造で製造された気動車。1965年(昭和40年)に別府鉄道に入線。1984年(昭和59年)の廃止時まで使用され、末期は残り少ないバケットカーとして注目された。現在は円長寺駅跡付近の公園に保存されているが、荒廃が著しい。

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