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DoraNeko

東名駅の記事中に書きましたが、若かりし頃に東名駅で下車するはずが降りることが出来ずに野蒜駅で上り列車に乗り、一駅引き返すという失態をしでかしたのでございます。これには続きのオチがございます。向かった先が、東名駅と野蒜駅の間に存在し、歩いた場合はどちらかというと野蒜駅からの方が近かった、っていうw ここも被災したために内陸部に移設された新駅でございます。ホームから旧線の駅跡方向を眺めてみれば、こみ上げてくるものがございます。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    野蒜駅(のびるえき)は、宮城県東松島市野蒜ケ丘一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線の駅である。高城町駅から東北本線へ直通する仙石東北ラインの列車も停車する。もともと奥松島・野蒜海岸の観光開発のために設置された駅だったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波の被害を受けて使用不能となり、仙石線の内陸移設に合わせて海抜22mの新駅舎に移転した。野蒜村と宮戸村(両村とも現・東松島市)との間には宮戸島を陸繋島とする陸繋砂州「洲崎浜」(須崎浜)があり、太平洋・仙台湾(石巻湾)に面していながら波が穏やかだった。この洲崎浜に宮城電気鉄道(現・JR仙石線)初代社長の山本豊次が目を付けて海水浴場の観光開発を計画し、1928年(昭和3年)に「野蒜駅」が設置された。場所は、鳴瀬川河口に建設された野蒜築港と松島湾とを結ぶ東名運河沿い。1931年(昭和6年)には兵庫県神戸市の須磨海水浴場にならい、「東北須磨駅」に改称した。海水浴場は宮電直営で「野蒜不老山海水浴場」(現・野蒜海水浴場)と呼ばれ、砂浜には「野蒜海水浴プール」も設置した。また、駅前には宮電直営のホテルや、長寿館という名称のキャバレーも開業した。宮電はさらに「東北須磨バンガロー村」も設置している。1944年(昭和19年)の国有化時に「野蒜駅」に戻された。日本三景・松島は当線松島海岸駅がある松島町が観光面での中心地となっており、仙台市から見て同町の先(奥)に当駅はある。そのため当駅がある鳴瀬町(当時)の日本三景・松島の観光地区(東名浜、野蒜海岸、宮戸島等)は「奥松島」と呼ばれるようになった。1980年代になると、町は当駅を奥松島駅に改称すべきかどうかを訊く住民アンケートを実施したが、改称には至らなかった。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波によって大きな被害を受け、当駅そのものが無期限での営業休止となった。震災翌年、不通区間のうち陸前大塚駅から陸前小野駅までについては線路を内陸に移設して復旧することが決定。これに含まれる野蒜駅についても従来よりも約500メートル内陸部に新設されることが発表され、2015年度内の全線復旧を目標として工事をすることが2012年1月にJR東日本から発表となった。2015年5月30日より新線上で営業を再開。

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