昭和新山は、北海道有珠郡壮瞥町にある火山。







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words=’小学校の社会科の授業でしたっけか、習いましたね。1945年(昭和20年)に 推上した溶岩ドームが一夜にして山となった、という話を聞いたっすが、一夜はオーバーですな。実際は最初10mほどだったものが半年かそこらで175mに達したってことですな。いずれにしても短期間で山が出来ちゃったことには変わりありませんが。個人の所有物にも関わらず国の特別天然記念物に指定されていることでも知られておりますな。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    昭和新山(しょうわしんざん)は、北海道有珠郡壮瞥町にある火山。支笏洞爺国立公園内にあり、国の特別天然記念物に指定されている。また、有珠山とともに日本の地質百選に選定され、周辺地域が洞爺湖有珠山ジオパークとして「日本ジオパーク」「世界ジオパーク」に認定されている。昭和19年(1944年)に始まった噴火活動で隆起した。当時は太平洋戦争下であったが、壮瞥郵便局長だった三松正夫が観測記録(ミマツダイヤグラム)を残した。昭和新山は私有地で、三松正夫の孫娘と結婚した三松正夫記念館館長の三松三朗が2021年時点の所有者である。尚、昭和新山の命名者は日本の地球物理学の先駆者である田中舘愛橘の養子、田中舘秀三である。有珠山の側火山。デイサイト質の粘性の高い溶岩により溶岩円頂丘が形成されている。形成当初の標高は400メートルを超えていたが、現在では、それが温度低下や浸食などの影響で、398mまで縮んでいる。有珠山の麓にあった平地に火山が形成された。山肌が赤色に見えるのは、かつての土壌が溶岩の熱で焼かれて煉瓦のように固まったからである。そして、川に運ばれ平地の地下に埋まるなどしていた石が溶岩によって持ち上げられたため、昭和新山の中腹には河原にあるような丸い石が場違いに転がっているのも見ることができる。なお、形成当初は全山が不毛の土地であったが、後述するように、昭和新山は私有地にあるため、登山などで自由に人が立ち入りすることができない。かつてこの地域は「東九万坪」という広大な畑作地帯で、壮瞥川の川沿いには「フカバ」という集落があった。集落名は鮭や鱒の孵化場があったことに由来している。辺りはのどかな田園地帯であったが、山の隆起とともに集落は消滅した。その痕跡は崩壊した国鉄胆振線の橋脚跡などに残っている。

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