多摩川駅は、東京都大田区田園調布一丁目にある、東急電鉄の駅。








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words=’東急電鉄の東急多摩川線と東横線・目黒線の接続駅である多摩川駅でございます。拙者が東京へ出て来た当時は、ここに多摩川園という遊園地がございまして、駅名も多摩川園前駅でございました。遊園地何ぞ気が付いたら無くなっておりましたですなw 当然ながら東急多摩川線と目黒線は分断されておらず、一体で目蒲線でしたよね。そんな面影何ぞ見る影もございません。見事なまでに変わり果ててすっかり高級住宅街のモダンで近代的な駅という面持ちに変化してしまっております。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    多摩川駅(たまがわえき)は、東京都大田区田園調布一丁目にある東急電鉄の駅である。線路名称上で当駅に乗り入れているのは、東横線と東急多摩川線の2路線である。ただし東横線には、田園調布駅 – 日吉駅間の複々線を利用して、東横線の列車と目黒線の列車も乗り入れており、それぞれ別路線として案内されている。そのため、当駅は東横線・目黒線・東急多摩川線の3路線の接続駅として案内されている。また、東急電鉄が3路線乗り入れている唯一の駅である。1988年11月から1997年6月にかけて、東横線複々線化事業の一環として田園調布 – 多摩川(旧・多摩川園)間改良工事が行われた。それに伴い、当駅についても駅舎の大規模改造工事が行われた。閑静な住宅街の中での工事で夜間工事はできないため、長期にわたる難工事となった。改良工事前までは開業当時からの駅舎であり、改札口は現在の南口にしかなかった。現行の駅舎は旧駅の面影を全く留めていない。東横線と目蒲線は別線で、田園調布と多摩川(当時・多摩川園)の両駅間の土塁を複々線で走っており、田園調布駅とともに3面4線の形態であったが、改良工事着手後は2面4線に改められた。目蒲線は当駅から沼部方面になだらかに坂を下って多摩川第一踏切で平面となり、駅を出てすぐの所に多摩川園への入口となるコンクリート製のガードがあった。東横線は横浜方面のホームが多摩川橋梁への急カーブにかかっており、下り横浜方面の線路はホームと車両が離れているのでカントが付けられず、上り線よりカーブが外側にも位置するにも関わらず駅を通過する急行は徐行運転を余儀なくされていた。また上り線は最後尾車両が傾いたまま停車するため、朝ラッシュ時にはドアが開くと人が降ってくるような状況で、いずれにせよ乗降に危険な駅であった。複々線化事業に伴い目蒲線は当駅で分断され、目黒方面は東横線と同方向・同一ホーム2面4線の高架ホームとして50mほど田園調布寄りに移動して急曲線ホームを解消させた他、蒲田方面は新たに1面2線の地下ホームでの営業となった。目蒲線の地下への線路付け替え工事は終電後始発電車までの間に行われ、一夜にして切り替わった。また、多摩川橋梁の所で交差する東京都道11号大田調布線(多摩堤通り)のガードの高さが3.3mしかなく、トラックが衝突して死亡事故も発生していたため嵩上げされ、当駅も旧駅より高くなった。当初は田園調布駅とともにエレベーターを設置する予定はなかったが、地元住民の運動により設置が決定され、その後の日本の鉄道駅の本格的なバリアフリー化の嚆矢となった。この工事は多摩川橋梁架替・増設工事(1997年12月完成)と新丸子⇔武蔵小杉間線増工事(2000年9月完成)に先行して行われたため、2000年8月6日の目黒線営業開始までの間、目蒲線は新しい地下駅を利用し、そこから田園調布方面に直通していた。この線路はその後も連絡線として使われており、田園調布駅から当駅に向かってすぐ、地下へのトンネルを見ることができる。なお、目黒線開業までは現・目黒線に線路が敷設されていなかった。東横線、目黒線ホームは高架に島式ホーム2面4線、東急多摩川線ホームは地下に島式ホーム1面2線がそれぞれ設置されている。東横線・目黒線ホームにはホームドアが設置されている。

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