旧水軒駅跡に移築された水軒堤防なる史跡の堤防でございます。




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words=’南海電鉄の和歌山港駅から水軒駅まで延びていた南海水軒線の水軒駅跡に移築された史跡水軒堤防でございます。かつてはここに線路があったのでございますね。今では跡形もございませんが。’
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コメント一覧 (1件)

  • 和歌山市の文化財・遺跡から引用
    紀ノ川の南岸の西浜に築かれた南北約1.0kmに及ぶ江戸時代の堤防跡です。明治及び昭和の文献資料により、紀州藩初代藩主徳川頼宣の命を受け、寛永年間(1624~1644)に朝比奈段右衛門が工事を担当し、13年の歳月をかけ完成したものとされていましたが、その後の道路拡張に伴う発掘調査により、18世紀後半の築造であったことが判明しました。また、堤の北端部・南端部の確認調査により、堤防は海側に石堤、陸側に土堤を併せもつ非常に強固な構造体であり、高さは石堤が約4m、土堤が約5mで、基底部の幅は推定で24m以上にも及ぶことが考えられます。築造の背景として、堤防東部の地域が、古代以来の名勝である和歌の浦と一体となった「吹上」の地であり、藩主が遊覧したり別邸を築いたりした西浜の地であることから、防潮とともに景観保持の目的であった可能性も想定されています。なお、道路拡張時の発掘調査により確認された石堤は、上部の6段まで(全体で16段のうち)が、南海水軒線の水軒駅跡地の水軒公園に移築保存されています。

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