志免駅は、福岡県糟屋郡志免町にあった、国鉄香椎・勝田線の駅(廃駅)。








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words=’現在では志免鉄道記念公園として一部保存されている志免駅跡でございます。香椎線旅石支線と勝田線の駅だった志免駅でございますが、炭鉱の衰退により1985年(昭和60年)に廃止されたのでございましたですね。すぐそばには旧志免炭鉱跡の竪坑櫓がございましてここからも見えるのですが、この日は雨のために見ることが出来ませんでしたです。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    志免駅(しめえき)は、かつて福岡県糟屋郡志免町に所在した日本国有鉄道(国鉄)香椎線(旅石支線)と勝田線の駅(廃駅)である。香椎線旅石支線の1985年(昭和60年)1月1日廃止により一般駅から旅客駅となり、勝田線廃止と共に1985年3月31日限りで営業を終えた。当駅は、海軍炭鉱第五坑の開坑によって石炭運搬用の貨物駅として1909年に開業、その後1919年に筑前参宮鉄道(後の勝田線)が旅客駅である新志免駅を開設、1942年の陸上交通事業調整法により両鉄道が九州電気軌道に合併され、駅は新たに普通駅(旅客貨物取扱)の志免駅として駅再置された。1944年には戦時買収により国有化され、その後炭鉱の衰退とともに勝田線は特定地方交通線に指定され1985年に廃止。当駅も運命をともにした。勝田線の廃線時は島式ホーム1面2線行き違い可能な配線と側線1本となっていた。旅客駅本屋も石炭貨物で賑わった時代の名残でかなり大きいものとなっていた。 直前に先に廃止された香椎線の旅石支線の志免駅の方は、石炭の積み出し設備と、更に先に続いていて旅石駅へと至る線路と、閉山後に自動車販売会社へ貸出をしているモータプールへ、自動車を運び込む施設等が遺っており、勝田線の志免駅から、住宅を挟んだ北側に、広大な志免貨物駅の跡が、勝田線の廃止時には間だ遺っていた。大亘り線と呼ばれた、連絡用の引き込み線で繋がっている。双方の廃止予定日が、近かった(※約3箇月)為に先に廃止された旅石支線の跡も、勝田線の廃止時に纏めて処分する様で、ほぼそのまま手付かづで残存していた。貨物駅構内には一般道路が通っていたが、其の志免駅の構内にあった踏切の踏切警報機には、[此処の踏切には列車は通りません]と記された札が、約3箇月間ぶら下げられていた。志免駅の近くは戦後日本国有鉄道志免鉱業所と名付けられた元(戦前)は海軍炭鉱があった。この炭鉱の遺構として1943年に海軍の建設による国指定重要文化財に指定された、高さ49.5mの志免鉱業所竪坑櫓が現存している。廃駅後跡地の貨物ホーム付近はセメント工場やスーパーマーケット及び道路に、旅客ホームは志免鉄道記念公園となった。 現在、ホームの途中を道路(福岡県道91号志免須恵線)が横切っているため、ホームは分断されており、道路を跨いだ先にもホームがある。

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